<出典:wikipedia>
はじめに
小宰相は藤原憲方の娘で、平通盛の側室です。
宮中で一番の美貌の持ち主だと言われていた美女で、通盛が彼女に一目惚れして熱心に手紙を送り続けたことで夫婦となりました。
しかし、源平合戦の最中で二人は引き裂かれてしまいます。
『平家物語』で一章を使って語られる小宰相の悲劇を見ていきましょう。
小宰相と通盛の出会い
上西門院(鳥羽上皇の娘・統子内親王)に女房として仕えていた小宰相。
彼女が16歳の頃、法勝寺のお花見にお供します。
そこで小宰相を見た通盛は一目で恋に落ちて、和歌や手紙を送るようになります。
しかし、返事は一度も返ってこないまま、気づけば3年も月日は経ちました。
いよいよ通盛も、「これで最後にしよう」と決意して、使いの者に手紙を持たせました。
ところが、取り次いでくれる女房が留守にしていました。
そして使いが戻ろうとしていたところ、ちょうど小宰相が乗った車が帰ってきます。
使いは手紙を車の中に投げ入れました。
この投げ入れられた手紙を、小宰相は主人である上西門院の前で落としてしまいます。
これを読んだ上西門院が仲を取り持ってくれたことによって、通盛は小宰相を側室として迎え入れることが叶ったのです。
悲しみの果て
1184年の2月。
一ノ谷の戦いの前夜に、通盛は小宰相にこう言います。
「私は明日の戦いで死ぬかもしれない」
それを聞いた小宰相は、「それは戦いではいつも同じこと」と思って本気にはしませんでした。
そしてこの時、実は妊娠していると通盛に打ち明けます。
すると通盛はとても喜んで、「どうかその子に私の忘れ形見になってほしい。元気な子を産んでくれ」と小宰相に言って優しく労ってくれました。
しかし翌日、通盛の言っていた悲劇が起きてしまったのです。
通盛は湊川の川下で敵に囲まれ、そこで討ち取られました。
これを屋島へ向かう船で聞いた小宰相は、悲しみのあまり何日も寝込んでしまいます。
ついには、ある決断をしました。
貞女は二夫に見えず
夜中に、小宰相は船端へ出ます。
そして念仏を百回ほど唱えると、「どうか死に別れてしまった私たち夫婦を、どうか極楽で一緒にしてください」と祈って海へと飛び込みました。
舵取りが飛び込むところを見ていたので、すぐにその姿を探しましたが――引き上げた時には、小宰相はもう息を引き取っていました。
遺体をそのままにしておくわけにもいかないので、一組残っていた通盛の鎧を着せると、そのまま海へと沈めました。
これらのことは『平家物語』で語られているエピソードですが、章の終わりに『男が死んで出家することはあることだが、身を投げるというのはそうそうあることではない。“忠実な部下は二人の主人には仕えず、貞女は二人の夫を持たない”という言葉は、こういうことだろう』と締めくくられています。
小宰相のこの選択は、当時の価値観からしてもなかなかあることではなかったのが分かります。
彼女が願ったように、極楽での再会が叶ったといいですね……。