関白になっていない藤原道長による日記、『御堂関白記』

『御堂関白記』というのは、平安時代に権勢を誇った藤原道長(966-1027年)の日記です。
平安時代の歴史研究者にとっては第一級の基本資料ですが、一般にはあまり認知されていません。
しかし、この史料は道長とその時代についての生きた記録です。
ここでは、日記の内容の詳細ではなく、どんな魅力のある史料なのか、いくつかピックアップしてご紹介します。

『御堂関白記』の作者藤原道長は「関白」になっていない

この道長の日記はもともと個人の日記で、題名などありません。
のちに江戸時代の写本に『御堂関白記』というタイトルが付けられ、これが流布したのが現在に続いています。
しかし、藤原摂関時代の頂点を極めた藤原道長は、摂政の経験はありますが、関白になったことはありません。
関白ではない人物の日記が『御堂関白記』と呼ばれるという、おかしなことになっています。

カレンダーの余白に書き込まれた日記

『御堂関白記』というのは、まとまった日記帳に書かれているわけではありません。
具注暦(ぐちゅうれき)と呼ばれる、朝廷の役所である陰陽寮が作成し、貴族たちに頒布していた暦に記入されていたものです。
具注暦とは、太陰暦による暦で、干支、吉凶判断のための様々な事柄や禁忌などが漢文で記されている平安時代のカレンダーです。
カレンダーのそれぞれの日付にある1、2行の余白部分に、メモのように書き込まれているのが『御堂関白記』なのです。
スペースが足りない場合には、その紙面の裏側に文章が綴られていました。

「件(くだん)の記等、披露すべきにあらず。早く破却すべきものなり」
と道長が記した通り、誰かに見せるために書かれた日記ではありません。

現存する世界最古の日記。国宝そしてユネスコ記憶遺産!

もともと全部で36巻だったこの日記は、道長の家系が鎌倉時代に近衛家と九条家に分かれた際に分割保存されました。
現存するのは近衛家の陽明文庫に所蔵されたもので、自筆本14巻と古写本12巻です。
現存する最古の直筆日記で、日本の国宝であり、2013年にはユネスコの世界記憶遺産として登録されています。
権力者が残した日記は世界でも珍しく、貴重な史料とされるには他にも理由があります。

・遣唐使廃止以降の日中交流の記録が残る
・道長を通した仏教・神道・陰陽道などの当時の信仰の貴重な記録が残る
・具注暦に記入されたため、暦とともに日食や月食などの天文学的に貴重な記録が残る
・日本列島上の天候や災害についての正確な記録が残る
・道長は『源氏物語』『和泉式部日記』など女流文学のパトロンでもあり、日記を通じて女流文学が栄えた王朝貴族社会を知ることができる
・漢詩の作文会を頻繁に主催した道長が残した日記で、当時の漢文学の実体を知ることができる
・世界史上でも希有な権力者(道長)の目を通した、政権中枢における政治・経済・社会・文化・宗教の様相を知ることができる

漢文は苦手だった道長?

『御堂関白記』の中には黒く墨で塗りつぶした箇所や、文字の訂正、ぶっきらぼうに書かれた部分も見られます。
藤原道長は、急に巡ってきたチャンスを掴んで政権に就き、権勢を極めた公卿です。
実務経験に乏しく、勉強する機会もなかった彼は、漢文がそれほど得意ではなかったのでした。
当て字や省略、独特の言い回し、おかしな文法も日記には頻出しています。

ただ、彼の名誉のためにも、日記の目的が本人のためだけの備忘録だったことをお忘れなく。
他人の目を気にする必要はなかったのです。
その彼の漢文も、政務を執る年月を重ねるごとに上達していくのが日記を通して確認されています。
彼の文や文字は、彼周辺で起きた事件、喜ばしいこと、腹立たしいことなどを表情豊かに伝えます。

日本の宝『御堂関白記』の意外な保管の仕方

そんな藤原道長の日記『御堂関白記』は、近衛家の陽明文庫の厳重な幾重もの扉のある蔵に収められています。

蔵の奥に厳重に収蔵されていると思いますか?

いえいえ実は、扉を開けるとすぐの一番手前に置かれているのだそう。
その理由は、万が一の事態が起きた際に、素早く安全に運び出すためです。

千年の時を経ても、藤原道長の喜怒哀楽を綴った記録は、大切に保存されてきました。
細心の注意を払って守られる『御堂関白記』は、次の世代にも伝えられていくことでしょう。

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