百夜通い。小野小町「口説くなら100回の誠意を見せて」

<出典:ウィキペディア

京都は伏見の善願寺にある、ご神木の榧(かや)の木。
約50年前、その生木には不動明王像が刻まれました。
そしてこの不動明王は今後100年もすれば大樹の生命力によって、木の中に飲み込まれてしまうのだそうです。
その榧の木を植えたというのが、あの美人で知られる小野小町です。
これには「百夜通(ももよがよ)い」の伝説がかかわっています。

小野小町とは

絶世の美女として知られる小野小町は、平安時代前期の女流歌人です。
僧正遍照(そうじょうへんじょう)、在原業平(ありわらのなりひら)、文屋康秀(ふんやのやすひで)、喜撰法師(きせんほうし)、大友黒主(おおとものくろぬし)と並ぶ六歌仙として知られています。

美人との誉れ高く、歌は有名なのですが、小野小町の肖像画や彫像などは存在せず、後世彼女を描いた絵も後ろ姿になっているものが多い謎の女性です。
『尊卑分脈』という系図集によると参議だった小野篁(おののたかむら)の孫であるとか、仁明天皇の更衣だったなどと言われていますが、本当のところはわかりません。
現在の秋田県湯沢市小野が生誕地だとも言われますが、彼女の生誕伝説は全国にあります。

小町と百夜通いの深草の少将

絶世の美女だった小野小町は、多くの男性から言い寄られましたが、なぜかその誘いを全て断っていました。

ある時、「深草の少将」と呼ばれる男性が小町に言い寄ります。
すると小町は「私の所に百夜通い続けてくださるなら、受け入れましょう」と言ったのです。
そこで、深草の少将は雨の日も風の日も欠かさず小町の元に通い続けました。
彼は、訪ねた証しに毎夜小町の元に榧の実を一つ置いていきます。
榧の実の数は増え、10になり、50になり、そして99個が揃いました。
ところが、百回目となるその夜、雪のために途中で行き倒れになった深草の少将は、凍死してしまいました。
亡くなった彼の手の中には、100個目の榧の実が握られていたということです。

榧の実と小町のその後

小町は、亡くなった深草の少将を偲び、彼が通ってきた道に、受け取った99個の榧の実を蒔きました。
やがて榧の木が一帯に育ち、「小野榧」と呼ばれました。
しかし、現存するのはその中でもごくわずかで、そのうちの一本が、先述の善願寺境内にある樹齢1000年以上のご神木の榧の木なのです。

それほどの美しい女性だった小町ですが、晩年は乞食のようになって暮したとも、故郷で静かに余生を過ごしたとも言われ、全てが謎のままです。

「花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせし間に」
(長雨の間に櫻の花はむなしく色褪せてしまった。日々の暮らしの中で物思いに耽っている間に私の容姿も衰えてしまった)

百人一首に選ばれた彼女の歌です。
絶世の美女と呼ばれた彼女でさえ、老いよる容貌の変化には勝てない悲しさが表われています。
かつては自分に恋した男に「百夜通ってみせてよ」と言い放ったほどの小野小町も、苦い思いを噛みしめていたことでしょう。

どうして小野小町が数多くの男性からの求婚を拒み続けたのかはわかりません。
善願寺近くの随心院には、小町に寄せられた1000通を超える恋文を埋めたとされる文塚もあります。
どの文も彼女の心を動かさなかったのでしょうか。

1000通の恋文を塚に、99夜の誠意を榧の木々に変えた小野小町は、姿もその本心も謎のまま。
それでも私たちは、1000年以上も歌と伝説だけを頼りに惹かれてしまうのですから、やはり彼女は一枚も二枚もうわ手には違いありません。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次
閉じる