お公家さんも庶民も 信長も清少納言も! みんな大好きな蹴鞠

「平安装束を身につけた貴族が、優雅に鞠を蹴って遊ぶもの」とのイメージが強い「蹴鞠」。
現代サッカーが人気のスポーツであるように、かつて歴史上の有名人たちも夢中になった日本の伝統的なスポーツ、
蹴鞠についてご紹介します。

中大兄皇子と中臣鎌足の出会いは蹴鞠

蹴鞠の発祥地とされるのは中国です。
紀元前300年以上前の戦国時代に、軍事訓練の一貫として行われていたスポーツでした。
その中国から約1400年前に仏教などと共に日本に伝わり、それが独自に発展しました。

日本では、心身の鍛錬を目的とする他に、五穀豊穣、平和祈願のために催されるようになりました。
日本で初めて蹴鞠が登場したのは、『日本書紀』です。
蹴鞠の最中に中大兄皇子が落とした沓(くつ)を、中臣鎌足が拾って捧げたことが記されています。
これが大化の改新を実行した中大兄皇子と中臣鎌足との出会いでした。(異説あり)

蹴鞠とは

【鞠】
蹴鞠の鞠は、サッカーボールより一回り小さい直径約19cmの鹿革のボール。
やや楕円形で、意外と弾力もあります。

【プレーヤーたち】
4人か6人、または8人が円陣になって行います。
服装は、立烏帽子(たてえぼし)を被り、鞠水干と呼ばれる装束に袴をはいて、鴨沓(かもぐつ)と呼ばれる革製の先が丸いブーツのようなものを履くきまりです。

【蹴鞠のルール】
・鞠を地面に落とさずに、多くの回数を蹴り続けること
・一人でリフティングを続けるのではなく、他の者に蹴りやすい鞠を蹴り出すこと
これが基本ルールです。

技の美しさやマナー重視で、明確な勝敗はありません。
相手が受け取りやすく、打ち返しやすい球を出せるかどうかを競う雅びな競技なのです。
動くときは、装束が乱れぬよう、どたばた走らず、すり足で素早く移動します。
足首を直角に保ち、脚を付け根からまっすぐ動かして、地面の近くで鞠を蹴ります。
ぽーんと良い音をさせて、適度な回転と共に約4.5mの高さまで上がる鞠が良いとされています。

■蹴鞠の人たち
蹴鞠を公家のスポーツとして伝えてきたのが、先述の中臣鎌足の子孫です。
藤原の氏を賜った鎌足の子孫の藤原摂関家系列の難波家、飛鳥井家が蹴鞠を継承。
洗練された遊戯として確立していきました。
しかし、戦国時代、そして江戸時代には女性たちにも流行したほどの蹴鞠も、明治維新後には衰退。
それを憂いた明治天皇の「蹴鞠を保存せよ」との勅命で保存会が設立されました。

蹴鞠に夢中になった歴史上の有名人たち

【大納言・藤原成道】
蹴鞠と言えば、この人を忘れてはいけません。
「蹴聖(しゅうせい)」と呼ばれた、日本史上ナンバーワンの蹴鞠の名手です。
清水の舞台の欄干の上をリフティングしながら何度も往復したなど数々の蹴鞠の逸話を持つ人物。
千日間鞠を蹴り続けて、最後には鞠の精霊にまで対面しました。
蹴鞠では「アリ」「ヤウ」「オウ」という掛け声をかけますが、これは、彼が出会った3人のサルの姿をした精霊の名前なのです。

【清少納言】
辛辣なコメントがすがすがしい随筆『枕草子』に、こんなコメントを残しています。
「遊戯は小弓。囲碁よ。格好わるいけど、蹴鞠もおもしろいわね」。

【今川氏真】
文化人であり蹴鞠の達人です。
父親の今川義元は桶狭間の戦いで織田信長に討取られました。
あるとき信長に請われて彼の前で蹴鞠の腕前を披露しています。
親の仇も取らないでその敵前で蹴鞠をした愚将と言われていますが、詳しい経緯は不明です。
ただ、蹴鞠はかなりの腕前だったそう。

【織田信長】
今川氏真の蹴鞠を見た時に、一緒にプレーもしたと『宣教卿記』の記録に残っています。
実は、織田家は蹴鞠の宗家である飛鳥井氏から直々に蹴鞠を学んでいました。
スポーツマンだった信長は、蹴鞠の心得もあったようです。

【明治天皇】
衰退しつつあった蹴鞠の保存を推進した天皇です。
プレーも指導もしたそうです。
この方のおかげで現在にも蹴鞠が保存されているのです。

いつでもどこでもボール1個あれば楽しめる・・・。
人々が現代サッカーに夢中になる理由は昔から変わっていないのかもしれません。

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