同じようで違う。『古事記』と『日本書紀』

<出典:wikipedia

古代日本の歴史について勉強するときに、存在を無視することのできない史書、『古事記』と『日本書紀』。
成立時期が同じで、内容も日本の成り立ちについて。
「なら、なぜ2つもあるの??」
実は、両書には明確な違いがあるのです。
それぞれの作成意図、その意義について、比べてみましょう。

『古事記』と『日本書紀』作成の意義とは?

これらの歴史書は、両書とも第40代天皇である天武天皇が発案したものです。
成立時期について年表で見てみると以下のようになります。

701年 大宝律令の完成
710年 平城京遷都
712年 『古事記』成立
718年 養老律令の完成
720年 『日本書紀』成立

両書が成立する時期とは、大和政権が本格的に天皇をトップとする中央集権体制を整えようとし、法治国家へと転換している時期でした。
そして、大和政権の正当性を主張するために歴史書を作成しました。
つまり、『古事記』『日本書紀』の作成は、国家の安定を図った古代国家建設事業の一環だったわけです。

『古事記』と『日本書紀』を比べてみると

両書とも漢字ばかりが使用されており、ぱっと見は同じように見えますが、実は『古事記』は漢文をベースにした和文です。
これに対し、『日本書紀』は純然たる漢文です。
この書き方の違いが出た理由は、『古事記』が国内向けに書かれた天皇家の私的な歴史書、『日本書紀』が国外に向けて書かれた公的歴史書という性格の違いがあるからだと考えられています。
漢文は、当時の東アジアの公用語だったのです。

両者の比較を以下の表にまとめました。

  古事記 日本書紀

編纂命令をした人

天武天皇 天武天皇

編纂責任者

太安万侶(おおのやすまろ) 舎人親王(とねりしんのう)

完成時期

712年 720年

巻数

全3巻 全30巻と系図1巻

収録時期

神代~推古天皇時代 神代~持統天皇

文献としての性格

天皇家の私史 日本の正史

表記法

漢文ベースの和文 漢文

文体

紀伝体 編年体

対象

国内 国外

天皇の雑事を行った舎人(とねり)という役職に、稗田阿礼(ひえだのあれ)という、頭がよく暗記力に長けていた人物がおりました。
『古事記』は彼が、『帝皇日継(すめろぎのひつぎ)』と『先代旧辞(さきよのふること)』という歴代天皇についての史料と神話などをまとめたものを読み習い、それを語ったのを官人だった太安万侶(おおのやすまろ)が筆録したものです。

『日本書紀』は、天武天皇が皇族や重臣たちに史書の編纂を命じ、天武天皇の皇子の舎人親王(とねりしんのう)がその編集責任者となったものです。

両書とも元になる史料は同じものをベースとしています。

『古事記』と『日本書紀』の違い

元の史料を同じくしながら、両者はその歴史事項のまとめ方が大きく異なっていました。

『古事記』は紀伝体でまとめられました。
紀伝体とは、例えば「支配者別」「諸侯の家系別」「天文・地理・制度などの分野別」などのように、同類の項目別に分けてそれらの歴史についてあらわしたもので、人物や物事に関して理解しやすいのが特徴です。

『日本書紀』は、編年体でまとめられました。
これは年ごとに事柄を並べてまとめたもので、全体の流れが掴みやすいという特徴があります。

『日本書紀』は公的な歴史書ということで、古くから多くの人々に読まれ、研究もされていました。
一方、『古事記』はあくまで『日本書紀』を理解するための副読本のように扱われていました。
しかし、江戸時代の国学者・本居宣長(1730年 -1801年)によって『古事記』の注釈書『古事記伝』が著わされ、高く評価されたことで『古事記』が注目され、『日本書紀』と同等に扱われるようになりました。

成立した年が少し『日本書紀』よりも早かったことから、『古事記』は日本最古の歴史書とされています。
同じ史料を元にしながらも、このように二つの歴史書には違いがあるんですね。

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