苦労の幼少期から、上位の地位へ。浅井江の歩んだ人生。

<出典:wikipedia

1567年。

お市が兄・織田信長の命令で浅井長政に嫁ぎ、三姉妹が生まれました。

その末っ子が浅井江でした。

やがて長政と信長が対立すると、1573年。

江の父親・長政は切腹してこの世を去り、お市と三姉妹は、織田信次の守山城で暮らすこととなります。

信長の死後、お市は織田家の重臣であった柴田勝家と再婚。

江たち三姉妹もお市に従い北ノ庄城に入りますが、1583年の賤ヶ岳の戦いで勝家とお市は自害し、三姉妹は秀吉に預けらることになりました。

 

2年後の1585年。

江は佐治一成に嫁ぐことになります。

一成は母・お市の妹の息子だったので、江とはいとこ同士。

そのおかげか、この結婚は江にとって気楽ではあったようです。

しかし、結婚して次の年、江は一成と離婚します。

理由は、一成が秀吉と敵対する徳川家康と織田信雄に味方したからでした。

 

2度目の結婚相手には、秀吉の甥・羽柴秀勝が選ばれました。

ですが不幸なことに、結婚して1ヶ月後……秀勝は病死してしまいます。

 

次に江が嫁いだのは、家康の息子・秀忠でした。

このとき江は23歳で、秀忠は17歳。

この結婚は、家康の側室だった秀吉の妹・旭姫が亡くなってしまったので、徳川家との結びつきを強くするためのものだったようです。

そしてこの結婚が江にとって大きな転機となりました。

3回目の結婚、その結果は?

秀吉亡き後、徳川家の江戸幕府が成立します。

そして江の夫・秀忠は、江戸幕府2代目将軍の地位を手に入れることになります。

 

江は秀忠との間に2人の男の子と5人の女の子を授かりました。

 

そのうちの一人・竹千代は、成長すると3代目将軍・家光となります。

江は将軍の妻という地位だけでなく、将軍の母にもなりました。

 

江の人生は、これだけでは終わりません。

娘の和子が後水尾天皇の中宮になり、興子内親王を産みます。

江の孫娘であるこの興子内親王は、のちの明正天皇。

これはお江与の方が亡くなった後の出来事なので、彼女が知ることはありませんでしたが……江は天皇の祖母にもなったのです。

 

江は、幼いころに実父の死、義父と母の死と2度の落城を経験し、2度も離婚するという苦労の人生を歩みました。

辛く悲しい出来事ばかりで、厳しい道だったことでしょう。

ですが、最終的には将軍の妻、将軍の母、天皇の祖母という立場にまで登りつめたのでした。

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