新古今和歌集
成立:1210年
編纂指示:後鳥羽院
編纂者:藤原定家、源通具、藤原有家、藤原家隆、藤原雅経、(寂蓮)
本当の『新古今和歌集』はどれ??成立は本当に1210年??
後鳥羽院によって『新古今和歌集』の編纂が命じられたのが、1201年。
上で記載した6人が編纂することになりますが、寂蓮が翌年亡くなったため、残りの5人で製作されました。
1205年。
何度も歌の選定や入れ替えを繰り返したのち、編纂が完了します。
しかし、その後も改定作業が続けられ、最終的に終わったのは1210年でした。
一般的な『新古今和歌集』は、このときに出来上がったもののことを指します。
さて。
後鳥羽院は1221年に承久の乱を起こし、敗れて流罪となります。
失意の日々を過ごすこととなりますが、和歌への情熱を持ち続けました。
隠岐の島で『新古今和歌集』の改訂を続け、『隠岐本 新古今和歌集』という別バージョンを作りました。
学者の中では、この『隠岐本』こそが『新古今和歌集』であるという見方もあります。
『新古今和歌集』の特徴
『新古今和歌集』は『古今和歌集』と違い、短歌のみ集録されています。
三句切れ、体言止め、本歌取りなど、技巧を凝らした歌が多く含まれています。
※本歌取り
古歌の語句や趣向を取り入れて、歌を詠むこと
また、『新古今和歌集』の歌風は余情妖艶で、その代表といわれるのが次の一句です。
※余情妖艶
余情とは、「後に残る」「深い印象」といった意味合い。映画のあとの余韻にも似ています。妖艶とは、「相手を惑わすような美しさ」のこと。
春の夜の 夢の浮橋 とだえして 嶺にわかるゝ よこ雲のそら (1巻・春歌上・38)(藤原定家)【意味】 春の夜にみた、はかない夢。 途切れて目覚めて明け方の空を見ると。横にたなびく雲が、峰から離れていこうとしている。 |
「ふと目が覚めて男女が別れる夢を見た余韻に浸っている情景」が浮かぶ、幻想的な歌です。
『新古今和歌集』の代表的な歌
玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ることの 弱りもぞする (11巻・恋歌1・1034)(式子内親王)【意味】 私の命よ。絶えるなら絶えてしまえ。このまま生きながらえていると、この恋を耐え忍ぶ心が弱まり、外に漏れだしてしまうから |
百人一首にも載っている有名な歌ですね。
次に紹介するのは、「三夕の歌」ともいわれ、テストなどで見たことがある人もいるかと思います。
寂しさは その色としも なかりけり 真木(まき)立つ山の 秋の夕暮れ (4巻・秋歌上)(寂蓮)【意味】 秋の寂しさは、紅葉の色とは関係ないんだなぁ。緑の山の夕暮れを見てしみじみと思う。 |
心なき 身にもあはれは 知られけり 鴫(しぎ)立つ沢の 秋の夕暮 (4巻・秋歌上)(西行)【意味】 未熟な私でも分かるなぁ。鴫立つ沢の秋の夕暮れの良さが。 |
見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋(とまや)の 秋の夕暮 (4巻・秋歌上)(藤原定家)【意味】 見渡してみても、花も紅葉もない。浦のボロ屋で見る秋の夕暮れは…。 |