<出典:wikipedia>
平家物語
成立:1198~1221年ころ(鎌倉時代)
製作者:信濃前司行長と生仏(琵琶法師)の合作
巻数:本巻12巻、別巻1巻
平家物語は、鎌倉時代に作られた軍記物語。
平氏の栄華と滅亡を描いたものです。
もとは琵琶法師が、琵琶を弾きながら語っていましたが、信濃前行長が生仏という琵琶法師と合作してできたといわれています。
ここでは、代表的なエピソードを3つ紹介します。
祇園精舎の鐘の声
(『平家物語』の冒頭から)
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。裟羅双樹(しゃらさうじゅ)の花の色、盛者必衰のことわりをあらはす。おごれる人も久しからず、唯(ただ)春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏(ひとへ)に風の前の塵に同じ」
【意味】
祇園精舎の鐘の音は、この世のすべてははかないものであると告げている。
釈迦が亡くなったときに枯れて白くなったという裟羅双樹の花の色は、勢いが盛んな者もいつかは必ず滅びるという道理を示している。
驕り高ぶる者もその栄華がいつまでも続くわけではなく、春の夜の夢のようにはかないものである。
勇猛なものも遂には滅びてしまう。
まったく風の前の塵のようなものにすぎない。
16歳の少年、敦盛の最期
源氏の武将、熊谷直実(くまがいなおざね)は、立派な鎧兜姿の武者が馬に乗って海に入っていくのを見つけた。
「敵に背を見せて逃げるのは卑怯だ!引き返したまえ!」
扇で武者を招く。
引き返してきた武者を組み伏せ、すぐさま首を取ろうとする熊谷直実。
そこで、敵の顔を見る。
敵はなんと16~17歳の美少年。
直実の子どもと同じくらいの歳だった。
「名前を聞いて助けてやりたい。」と感じる直実。
しかし、後ろには源氏の軍勢。
ここで見逃しても、別の兵に討ち取られるのは確実である。
直実は決意し、泣く泣く首を取った。
首を包もうとしたとき、錦の袋に入った笛を見つけた。
今日の明け方、管弦を奏していたのはこの人たちだったのか、といたましく感じた。
後にこの若武者は、平敦盛であること、笛はその祖父が鳥羽院から受け賜ったものであることが分かった。
お見事!!揺れる扇の的と弓の名手、那須与一
平家追討の命令書を受け取った源義経。
屋島で平家と対峙します。
日が暮れかかった頃。
平家の方から一艘の小船がでてきます。
小船の縁板には、竿が立ててあり、その上には扇。
「これを射てみよ!」
源氏は、平氏側からの挑戦状だと察します。
弓の名人、那須与一(なすのよいち)は、馬を海の中に乗り入れて狙うが、扇の的は遠く海上で揺れている。
狙いがなかなか定まらない。
「この矢はずさせ給うな」
八幡大菩薩に念じ矢を放つと、矢は扇の要際一寸ほどを見事に射切り、扇は空に舞い上がります。
これを見て平家は舷(ふなばた)を叩いて称え、源氏方は箙(えびら)を叩いてどよめきました。