紀貫之が女性のふりして書いた『土佐日記』

土佐日記
 作者:紀貫之
 成立:935年

『土佐日記』は、紀貫之が国司として赴任していた土佐の国(高知県)から、京へ帰る船旅をつづったものです。

『土佐日記』の冒頭に次の一文があります。

男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり

まるで作者が女性であるかのような書き出しです。

 

当時、仮名文字は女性が使うものでした。

しかし、紀貫之は仮名文字を使ってのびのびと書きたかった。

そこで、女性のふりをして日記を記すことにしたのでしょう。

ちなみに、これが後に『源氏物語』などの女流文学を生み出す誘い水となります。




旅日記なのに心は娘でいっぱい

高知県から京都まで。

今では、5時間程度で行けますが、当時は船で55日もかかりました。

船酔いに苦しみ、海賊の噂におびえ。

紀貫之は旅のなかで見聞きしたものを日記につづります。

ただ、旅日記とはいうものの、任地で亡くした娘のことを多く書いています。

「懐かしい京都へもどる喜び」ではなく、「長い船旅生活について」でもなく、「娘を亡くした悲しみ」が旅とともに綴られているのです。

 

浜辺に美しい貝が打ち寄せられている様子を見ると、

寄する波 うちも寄せなむ 我が恋ふる 人忘れ貝 下りて拾はん

(波が打ち寄せているなぁ。どうか恋しい人を忘れさせるという忘れ貝を打ち寄せてくれないか…。そしたら私はあの子を忘れるために船を下りて拾うから)

と悲しみに浸り、住の江(大阪)まで来ると、

住の江に 船さし寄せよ 忘れ草 験(しるし)ありやと 摘みて行くべく

(住の江の岸に船を寄せてください。忘れ草に効き目があるか確かめるため、摘んでみるから)

と嘆く。

ようやく旅を終えて、京の家に戻ると、荒れ果てた庭の中で新しく小松が生えているのに気づくと、

生まれしも 帰らぬものを 我が宿に 小松のあるを 見るが悲しさ

(生まれた娘が帰ってこられなかった我が家。留守中に新しく生えた小松を見ると悲しさがこみ上げる)

また悲しさがこみ上げる。

旅を終えた作者は、最後に、「とても自分の気持ちを書き尽くすことはできないから、こんな日記は早く破り捨ててしまおう」といって『土佐日記』を締めくくりました。

旅日記というより、紀貫之の悲しみを表現したかのような本。

だから、女性を装い仮名文字をつかって書いたのかもしれませんね。