<出典:wikipedia>
第123代天皇
大正天皇 たいしょうてんのう
(1879年~1926年)
1879年。
大正天皇は明治天皇の子どもとして誕生。
名を嘉仁(よしひと)といい、母は柳原愛子(やなぎはらなるこ)でした。
父・明治天皇には5人の皇子がいましたが、大正天皇以外は早くに亡くなってしまいました。
大正天皇も生後まもなく大病を患い、その後もたびたび病気になり、学習院に入学後も熱海で静養を繰り返しました。
20歳のとき。
九条節子(さだこ)と結婚し、それからは体調も良くなってきました。
ちなみに、このころはまだ皇室制度がありましたが、大正天皇は一夫一妻を貫き、昭和天皇の代に皇室制度がなくなりました。
活発な皇太子時代と窮屈な天皇時代をすごす
皇太子となった嘉仁親王(大正天皇)は、全国各地へ。
1907年には大韓帝国も訪れ、朝鮮皇帝にも面会しました。
嘉仁親王(大正天皇)は気さくで人間味にあふれ、一般市民にも気軽に声をかけました。
しかし、明治天皇や元老・山県有朋(やまがたありとも)は、こうした振る舞いを快く思っていませんでした。
1912年。
明治天皇が亡くなると、大正天皇が天皇になり、3年後に即位の礼を行いました。
即位した大正天皇は、激務や堅苦しい生活に悩まされるようになりました。
さらに、第一次世界大戦や米騒動などの出来事も相次ぎ、大正天皇の心のゆとりを奪っていきました。
1915年。
窮屈な生活に体調を崩すことが多くなり、公務も休みがちになります。
病気は次第に重くなり、言語障害で勅語を朗読するのも困難になったり、同じ姿勢を保てず歩行にも障害がではじめました。
1921年。
裕仁親王(昭和天皇)が摂政となり、大正天皇は療養生活へ。
1926年。
静養中の葉山御用邸でその生涯に幕を閉じ、関東の多摩陵に葬られました。