第81代天皇 安徳天皇

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<出典:wikipedia

第81代天皇
 安徳天皇 あんとくてんのう
(1178年~1185年)

1178年。
安徳天皇は、高倉天皇と平徳子の子どもとして誕生。
名を言仁といいました。

当時の権力者・平清盛は、何が何でも自分の孫を天皇にしようと考えていました。
そこで、娘の徳子を高倉天皇に入内させます。
徳子が妊娠すると、平清盛は厳島神社まで行って皇子誕生を祈願。
そして、1178年。
言仁親王(安徳天皇)が生まれました。

1180年。
高倉天皇は、子どもの言仁親王(安徳天皇)に天皇の位を譲りました。
こうして、平清盛は天皇の祖父という地位を手に入れたのです。

平清盛が亡くなると、安徳天皇の運命は暗転。
木曽義仲が都へ攻めてきたため、平氏一族は西国へと逃げていきます。
このとき、安徳天皇も母の徳子に連れられて都を離れます。

平氏一族は讃岐の屋島に本拠地を置いて、巻き返しを図りました。
しかし、一の谷、屋島で敗れたため、さらに西へ逃げていきました。

1185年。
壇ノ浦で源氏と衝突。
これにも敗れ、いよいよ最期のときを迎えます。

安徳天皇の祖母、二位尼(にいのあま)は安徳天皇を抱きかかえました。
すると、安徳天皇は「私をどこへ連れて行こうとするのか?」と問いかけました。
二位尼は「波の下にも都がございます」と返答。
安徳天皇は東の伊勢神宮を伏して拝み、抱きかかえられたまま海に身を投じ亡くなりました。
このとき数え年8歳。
歴代天皇のなかでも最年少でした。

ただ、ほかにも安徳天皇が生き延びたという説があります。
一番有名なのは鬼界ヶ島まで逃れて68歳まで生きたという説です。
天皇の代わりに別の子どもが入水したという説もあります。

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