<出典:城とか陵墓とか>
第64代天皇
円融天皇 えんゆうてんのう
(959年~991年)
円融天皇は先代・冷泉天皇の弟で、名を守平(もりひら)といいます。
父は村上天皇で母は藤原安子(あんし)でした。
冷泉天皇は21歳で弟の守平親王(円融天皇)に天皇の位を譲りました。
そのため守平親王は、11歳の若さで第64代天皇となりました。
幼い円融天皇に代わって政治を担当したのは藤原実頼(さねより)でした。
その後、実頼が亡くなると甥の伊尹(これただ)が摂政に就きます。
しかし、伊尹はわずか1年で亡くなってしまいます。
兄弟間の権力争い
伊尹が亡くなる前。
兄の兼通は弟に摂関職を奪われないために、円融天皇の母(兼通の妹)である安子に
「関白職は兄弟の順序に従い任ずるべし」
と書かせていました。
伊尹が亡くなると、兼通はその書き付けを円融天皇に見せました。
孝心深かった円融天皇は、それに従い藤原兼通を関白に任命しました。
977年。
兼通は病に倒れました。
すると、今度は従兄弟の藤原頼忠が関白になってしまいました。
勢力を伸ばしたかった兼通の弟の兼家。
娘の詮子(せんし)を円融天皇に入内させ力を確保しました。
そして詮子が産んだ懐仁親王(やすひとしんのう)が天皇に即位すると、兼家の権力は強大になっていきました。
円融天皇は在位期間中、常に藤原氏の権力争いに巻き込まれていました。
天皇が詮子以外の女性を中宮に据えたときは、藤原兼家は朝廷に出仕しなくなり、さらに詮子と懐仁親王を退出させてしまいました。
こうした状況に嫌気をさした天皇は、天皇の位を譲る決心をしました。