第27~28代天皇 安閑天皇~宣化天皇

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<出典:wikipedia

第27代天皇
 安閑天皇 あんかんてんのう
(466年~536年)

安閑天皇は、継体天皇とその后である目子媛命(めのこひめのみこと)との間に生まれました。
ある日、継体天皇からいきなり位を譲られて、安閑は天皇に即位しました。

即位した安閑天皇は、わずか2年の在位期間に直轄領を拡大。
穂波屯倉(ほなみみやけ)、鎌屯倉(かまみやけ)、三崎屯倉、桑原屯倉、越部屯倉など、41ヶ所の屯倉を設置しました。
この中には地方豪族が支配していた土地も多く、これがヤマト政権の経済的・政治的基盤になりました。

安閑天皇の在位中。
武蔵国の笠原直使主(かさはらのあたいおみ)と同族の小杵(おき)が、武蔵国造の地位をめぐって争いを開始。

小杵は関東の実力者・上毛野君小熊(かみつけぬのきみおぐま)へ助けを求めました。
一方、笠原直使主は大和まで行き現状を報告しました。

これに応じて、ヤマト政権は笠原直使主を国造と認めて小杵を成敗し、
ヤマト政権は関東の実力者だった上毛野君小熊の勢力を抑えました。


第28代天皇
 宣化天皇 せんかてんのう
(467年~539年)

宣化天皇は継体天皇の第二子。
安閑天皇に子どもが生まれなかったため、即位することになりました。

宣化天皇は蘇我稲目を大臣に起用し、政権の中軸に置きます。
また、
「食は天下の本である。黄金が万貫あっても飢えを癒すことはできない。真珠が千箱あっても寒さをしのぐことはできない。・・・」
という勅令を出して、大臣にモミを貯蔵させ、凶作に備えました。

外交・軍事面でも新羅の侵略に備えるため、狭手彦(さてひこ)を送りました。

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