第16代天皇 仁徳天皇

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<出典:wikipedia

第16代天皇
 仁徳天皇 にんとくてんのう
(257年~399年)

仁徳天皇は、應神天皇の第四皇子。
『古事記』では”聖皇”、『日本書紀』では”聖帝”と記され、理想的な君主として描かれています。
実年代は5世紀初頭という説が有力で、都は外交に便利な難波(大阪)にありました。
仁徳天皇陵は世界最大のお墓として有名です。

應神天皇は、生前、菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)を皇太子として考えていました。
しかし、應神天皇が亡くなると菟道稚郎子は、仁孝があり年上の仁徳天皇に即位を勧めました。
それを断った仁徳天皇。
ふたりが天皇の座を譲りあっていると、長男の大山守皇子(おおやまもりのみこ)が反乱。
これを菟道稚郎子が鎮圧しました。
その後、菟道稚郎子は自殺。
こうして仕方なく仁徳天皇は天皇となりました。

この即位の一件は、儒教的な「長幼の序」につながる話だとして、古くから儒学者に賞賛されています。
また、この一件以来、末子相続から長男相続へ移ったとも考えられます。
このころから国家が巨大化し政治が複雑になったため、年長者のほうが国を治めやすくなったのでしょう。

仁徳天皇の政治

仁徳天皇は即位すると、治水・灌漑設備を整えていきました。
茨田堤(大阪府寝室川市付近)に堤防を築き、難波掘江を開削。
これは、日本初の大規模土木工事だったとも言われています。
耕地の開拓もすすめ、「四万余頃」の田んぼを得たといいいます。

設備を整えていたある日。
仁徳天皇は山に登って四方を眺めます。
しかし、民家から炊飯の煙がでていません。

「大規模な工事のせいで、民が疲弊しているのか!」

そう感じた仁徳天皇は、3年間のあいだ税を免除。
高津宮が雨漏りしても修理せずに我慢しました。

3年後。
再び周囲を見渡すと、炊飯の煙がそれぞれの家から立ち上っています。
これを見た仁徳天皇は歌を詠みます。

 高き屋に のぼりて見れば けむり立つ
 民のかまどは にぎはひにけり

これは「民の竈」という故事にある逸話ですが、実際には、平安時代の誰かが仁徳天皇のことを思い浮かべて詠んだ歌のようです。

一方、仁徳天皇には非常に人間味がありました。
何人もの女性を妻としたため皇后の嫉妬に悩まされたなど、今までの天皇には見られない人間らしい一面が描かれています。

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