水戸(徳川)光圀は1657年に日本の史書『大日本史』作成を開始。
なんと250年かけて完成に至ります。
この歴史書は、200年後の幕末尊王思想に大きな影響を与えます。
水戸光圀は江戸駒込の別邸を小石川本邸に移すと、本格的に『大日本史』の編纂にはいります。
公の日本史は奈良・平安時代の『日本書紀』にはじまり、その後『日本三代実録』までの計6個のみ。
そのあとに書かれたものは、どれも個人が勝手に書いたようなものでした。
そこで、水戸光圀はまず正しいものと間違ったものを分ける作業に入ります。
日本中から学者を集め、天下の副将軍という肩書を利用して、全国の神社や寺にある様々な文献を読み、編纂していきます。
『大日本史』3つの特徴
『大日本史』には3つの大きな特徴があります。
1つめは、神功皇后(じんぐうこうごう)を歴代の天皇に数えなかったこと。
2つめは、即位したかどうか不明確だった大友皇子を天皇とみなしたこと。
3つめは、南北朝時代の正統な朝廷を南朝に定めたことです。
1716年になると、神武天皇~後小松天皇まで扱った「紀伝」のパートが完成。
後小松天皇は南北朝が南朝に統一された時の、第100代天皇です。
1700年には水戸光圀が亡くなってしまいますが、そのあとも水戸藩は編纂を続けます。
1810年には出来上がった26巻を朝廷に献上。
幕末には、「紀伝」を補って朝廷に献上しています。
1906年。
ついに『大日本史』が完成します。
全部で402巻。
完成までに250年の時間が費やされました。
ちなみに、この年は日露戦争の翌年でした。
この歴史書は1929年に講談社の野間清治が洋製本16巻にして出版しています。