朝鮮出兵で快進撃を続けるも、水軍が弱く食料補給ができなかった日本は撤退します。
中国軍も日本の戦術に大打撃を受け、和平交渉が始まります。
豊臣秀吉は、朝鮮出兵で日本軍は勝利したと考えていました。
そのため、中国と和平交渉するときに七カ条の講和条件を考えます。
なかでも、重要なのが下の3つ。
・中国(明)の皇女を日本の天皇に差し出すこと
・勘合貿易のような通商を行うこと
・京城付近の南部四道を日本に譲ること
しかし、中国では「秀吉を日本の王として認めればいいのだろう」としか考えていませんでした。
これでは、話が合うわけがありません。
しかも仲介する人物がそれぞれの主君を恐れてそれぞれが出す条件を明確に伝えなかったので、秀吉にも中国の皇帝にも正確に話が伝わりませんでした。
お互いに通訳が嘘の条件を出して話が進んでいきます。
嘘で塗り固められた如安の講和交渉
1594年。
小西如安(じょあん)という大名が使者として北京に行きます。
そのとき如安が伝えたのは以下の内容でした。
・秀吉を日本の国王として認めてほしい
・中国(明)に位をもらったら、釜山や対馬から軍を引き上げる(秀吉は朝鮮の南半分をよこせと言っている)
・秀吉は貿易を求めていない(実際は貿易をしたいといっている)
・日本は朝鮮とともに中国の属国になる(そんなことは思ってもいない)
秀吉の考えとは全く違いますが、如安はこういわなければ講和が成り立たないと思っていたのでしょう。
しかも、
「天皇という存在があるのに、なぜ秀吉は国王の地位を求めるのか?」
という質問に対して
「天皇と国王は同じ。信長が天皇を殺してしまったので、新しく秀吉を国王にしたい」
と回答。
何から何まで無茶苦茶なことを言って話が進みます。
中国の朝廷はそれなら良いだろうといって、講和のための正式な使者を日本に送ります。
中国から講和の使者が来るということで、秀吉は華美を極めた伏見城で盛大に迎えようと準備します。
しかし、大地震が起きて伏見城は崩壊。
被害の少なかった大阪城で中国の使者を迎えることになります。
中国からの使者は、封書と金印、高い位の人ようの服を献上します。
秀吉は献上された服を身につけ、僧侶の承兌(じょうたい)に任命書を読ませます。
小西行長(こにしゆきなが)は事前に「封書には通訳のものが言っている内容と違うことが書かれているかもしれないが、そこは読み飛ばしてほしい」と伝えていました。
しかし、承兌はかまわずすべてを読み上げます。
「・・・・・・・、ここになんじを日本の国王として任命する」と。
それを聞いた秀吉は烈火のごとく怒り、中国からの冠と衣服を脱ぎ捨てると
国王になど明の小せがれに任じてもらわなくてもいつでもなれるわ!!!!そもそも日本には天皇がいることを知らんのか!!!
と一喝。
そして、小西行長と中国の使者を誅殺しようとします。
これを承兌がなんとか秀吉を抑え誅殺は免れますが、秀吉は中国の使者を追い返し朝鮮征伐を命じることとなります。