<出典:wikipedia>
紫式部(むらさきしきぶ) 978年~???
978年ころ。
紫式部は藤原家の娘として生まれました。
式部の家は代々学者の家として知られており、歌人の家としても有名でした。
式部もその影響を受け、小さいころから文学的な才能に恵まれました。
しかし、幼いころに母をなくしてしまいます。
式部が小さい頃。
父が兄に中国の歴史書『史記』を教えていました。
しかし、そばで聞いていた紫式部は兄より先に『史記』を覚えてしまいます。
これを知った父は
「あ~、式部が男の子でないことが残念だ」
と嘆いたそうです。
『源氏物語』を書き始める
しばらくして、父が福井県の越前国の国司となりました。
そのため、式部も父と一緒に越前へ!!
2年ほど越前で暮らします。
その後、都に戻り、結婚し、女の子を出産。
しかし、数年後に夫が病気で亡くなってしまいます。
寂しさを紛らわすために、式部は物語を書き始めます。
主人公は光源氏。
藤原氏の勢力が最も盛んなころの貴族の生活や感情を生き生きと描き出しました。
これが『源氏物語』で、当時、貴族の女性の間で広まっていた”ひらがな”で書かれているのが特徴です。
彰子に仕える
『源氏物語』が貴族の間で評判になると、そのうわさは左大臣藤原道長の耳にも届きます。
式部の才能を高く評価した道長。
式部を娘の彰子のもとに仕えさせることにします。
こうして彰子に仕えはじめた式部ですが、はじめは役職名「式部丞」にちなんで藤式部(とうのしきぶ)と呼ばれていました。
しかし、やがて『源氏物語』の女主人公「紫上(むらさきのうえ)」の一字をとって、紫式部と呼ばれるようになりました。
当時の宮中では、式部と同じく彰子に仕えた和泉式部や、定子に仕えた清少納言など、多くの才能ある女性が活躍していました。
そのような中で、紫式部は様々な経験をし、ついに『源氏物語』54巻を完成させます。
製作にはなんと6年もの年月がかかりました。
『源氏物語』を書き終えた紫式部は数年後。
一度、宮中を去ります。
しかし、1018年。
再び彰子に仕えるようになります。
その後の紫式部については詳しく分かっていません。