第72代天皇 白河天皇

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<出典:wikipedia

第72代天皇
 白河天皇 しらかわてんのう
(1053年~1129年)

1053年。
白河天皇は、後三条天皇と藤原茂子(もし)の子どもとして誕生。
名を貞仁(さだひと)といいました。

父の後三条天皇は、藤原氏の勢力を抑え、天皇が自ら政治を行える体制を作ろうとしていました。
しかし、40歳の若さで亡くなってしまったため、白河天皇がそれを引き継ぎます。

1072年。
白河天皇が即位すると、父に倣って荘園整理を強化。
八幡宇佐神宮境内地に神宝塔院の建設も行いました。

父・後三条天皇は、白河天皇の次にその兄弟である実仁親王、輔仁親王を皇位につけようと考えていました。
しかし、白河天皇は弟ではなく自分の子どもを皇位につけたいと考えました。
そこで、1085年。
実仁親王が亡くなったのを機に、白河天皇は息子の善仁親王(堀川天皇)に皇位を譲りました。
そして、自らは上皇となり、政治を動かし始めました。

白河上皇が院政をはじめる

当時の白河上皇(白河天皇)には、上皇になってから政治を行う意思はなかったと考えられます。
しかし、寺院の力が強くなったり武士が力をつけてきた情勢もあり、白河上皇を頼る臣下が増えてきました。
また、上皇には武士を集めた独自の軍もありました。
そのため、自然と上皇が政治を行う院政がはじまっていきました。

白河上皇は、仏教を篤く信仰。
法勝寺や最勝寺、円勝寺などを造りました。
また、1096年に娘が亡くなったのを機に出家し、法皇となりました。

1107年。
堀川天皇が亡くなると、当時5歳だった孫の宗仁親王(鳥羽天皇)を天皇にしました。
鳥羽天皇を退位させた後は顕仁親王(崇徳天皇)を即位させ、白河法皇は三代・43年にわたって政権を握りました。

1129年。
白河法皇は77歳でその生涯に幕を閉じました。

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