<出典:wikipedia>
清少納言(せいしょうなごん) 966年~11世紀初
966年ころ。
清少納言は清原家の娘として生まれました。
父の元輔は役人でしたが、歌人として有名で、天皇から和歌の編集を命じられるほどでした。
小さいころから父の指導を受けた清少納言は、歌の作り方や漢学などの学問をどんどん学んでいきます。
9歳のころ。
父が国司となって山口県に行くことになります。
清少納言も父についていき、山口で4年ほど過ごします。
都に帰ってからしばらくすると、結婚して男の子を生みました。
あるとき、清少納言はお経8巻を朝と夕方に1巻ずつ読む会に招かれます。
その会で才能を認められた清少納言は、それを生かすため宮中で働こうと思うようになります。
933年。
夫と別れた清少納言は、宮中で一条天皇の后の定子に仕えることになります。
学問好きの定子は、才能と教養のある清少納言を気に入り可愛がりました。
雪の積もったある日。
定子が
「少納言。香炉峰の雪はいかがであろうか」
とたずねます。
そばにいた女性たちは、「定子様は何を言っているのか??」と疑問に思います。
しかし、清少納言は格子をあげ、立ち上がってすだれをまきあげました。
中国の詩に
「香炉峰の雪は、すだれをかかげて見る」
とあり、清少納言はこれを知っていたのです。
この様子に定子は「さすが少納言!」といって微笑みました。
1000年。
清少納言を可愛がっていた定子が25歳の若さで亡くなってしまいます。
やがて清少納言も宮仕えをやめ、宮中での経験や四季の移り変わりなどを書いたものを整理。
『枕草子』という随筆集を完成させました。
ちなみに、その後の清少納言についてはよく分かっていません。