桓武天皇(かんむてんのう) 737年~806年
737年。
天智天皇の子である光仁天皇の皇子として生まれた桓武天皇。
はじめは山部王(やまべのおう)と名付けられました。
しかし、母が渡来人出身という理由で、なかなか皇太子になれませんでした。
そんな山部王に幸運が訪れます。
藤原百川らにおされて皇太子に!
781年には即位して桓武天皇になります。
平安京に都を移す
当時、僧の力が強くなっており、政治にまで口を出していました。
そこで、桓武天皇は仏教の影響を受けずに新しい政治を行うことに。
寺院の勢力が強い平城京を捨て、都を移すことにします。
784年。
水陸の交通の便が良い長岡京(京都)に都を移す計画を立てます。
しかし、翌年。
工事の責任者が反対派に殺されてしまいます。
また、桓武天皇の后や母が相次いで死亡。
不吉な出来事が続いたため、長岡京の工事を中止します。
そして、794年。
和気清麻呂(わけのきよまろ)の意見を取り入れて、京都の平安京へ都を移しました。
仏教から逃れ、政治を立て直す
このころ、地方の役人が不正を行うなど、政治が乱れていました。
そのため、桓武天皇は地方役人の監督を強化。
6歳以上の男女に田んぼを与える班田収授法(はんでんしゅうじゅのほう)も規則通りに行われなくなっていたので、体制を立て直そうと努力します。
農民は重い税に加えて、新しい都づくりで苦しい生活を強いられていました。
そこで、桓武天皇は労役や兵士の仕事を免除して、農民の負担を軽くしました。
東北地方では、蝦夷(えぞ)と呼ばれる人々が住んでいました。
国の力が安定してくると、朝廷は遠征軍を派遣。
何度も蝦夷を支配しようと試みます。
797年。
桓武天皇は坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命。
802年には、胆沢城(いさわじょう)を築き、朝廷の勢力を東北地方にまで広げることに成功します。
ちなみに、奈良にいた時に力をつけた仏教勢力。
桓武天皇は都を京都に移すとともに、天台宗と真言宗を保護して、奈良の仏教勢力を抑えました。