<出典:wikipedia>
第33代天皇
推古天皇 すいこてんのう
(554年~628年)
先代、崇峻天皇は蘇我馬子に殺されてしまいました。
そこで次に選ばれたのが、欽明天皇の娘であり敏達天皇の皇后である推古天皇でした。
日本史上初めて女性の天皇が誕生しました。
593年。
推古天皇は天皇に即位すると、聖徳太子(厩戸皇子)を皇太子に立てて、政治全般を任せました。
600年。
新羅征伐のため、来目皇子(くめのみこ)を将軍とする、2万5千の大軍を準備。
しかし、来目皇子が急死したため、計画は中止されました。
603年。
聖徳太子は「冠位十二階」を制定。
徳・仁・礼・信・義・智をそれぞれ大小に分けて12の位を作りました。
それに合わせて冠の色も、紫・青・赤・黄・白・黒にそれぞれ濃淡をつけて作成。
それぞれの位が一目で分かるようにしました。
聖徳太子は仏教にも力を入れ、四天王寺や法隆寺を建立。
蘇我馬子も法興寺(飛鳥寺)を建てました。
各有力者もこれに続き、624年には全国で46の寺院が完成しました。
十七条憲法と遣隋使
604年。
十七条憲法(じゅうしちじょうのけんぽう)を制定。
「和をもって尊しとなす」で始まるこの憲法で、「人の和を大切にすること」や「天皇の命令に従うこと」など、官僚や貴族の心構えを説きました。
607年。
聖徳太子は小野妹子を隋に派遣。
翌年、中国から答礼使が来日し、再び使節を派遣することになりました。
こうして100年ぶりに中国との交流を再開しました。
622年。
聖徳太子が斑鳩宮(いかるがのみや)で亡くなり、626年には蘇我馬子が亡くなってしまいました。
政治を取り仕切っていた二人が亡くなってしまったため、推古天皇の政治は弱体化。
そして628年に、後継者を定めないまま推古天皇は亡くなりました。