<出典:wikipedia>
第104代天皇
後柏原天皇 ごかしわばらてんのう
(1464年~1526年)
1464年。
後柏原天皇は後土御門天皇の子どもとして誕生。
母は庭田朝子、名を勝仁(かつひと)といいました。
当時、応仁の乱により朝廷の財政は厳しいくなっており、宮中の儀式を行えなくなっていました。
父の後土御門天皇は、何度も譲位して天皇の位を降りようとしましたが、譲位にもお金がかかります。
そのため、財政状況の苦しかった室町幕府はこれを拒否。
後土御門天皇は、亡くなるときまで天皇の座から降りることができませんでした。
1500年。
後土御門天皇が亡くなると、後柏原天皇が位を受け継ぎました。
しかし、即位の礼を行うためのお金がありません。
そのため、なかなか即位することができませんでした。
これを見かねた11代将軍の足利義澄(よしずみ)は、朝廷に献金しようと考えました。
しかし、将軍補佐の細川政元(まさもと)は、
「即位の礼をあげたところで、王としての実質が伴っていなければ無駄である」
として、献金に反対。
そのまま、放置されてしまいました。
それから21年後。
足利将軍家や本願寺第9世の実如らが朝廷に献金。
ようやく即位の礼をあげることとなりました。
この時期の天皇の権威は地におちていました。
即位の礼に対しても、世間では次のような句が流れました。
やせ公卿の 麦飯だにも くいかねて 即位だてこそ 無用なりけり |
それでも、後柏原天皇は朝廷の儀式復活のために活動しました。
また、仏教にすがるようにもなり、疱瘡が大流行した年には、自ら筆を取り、般若心経を延暦寺と仁和寺に納めました。