<出典:城とか陵墓とか>
第63代天皇
冷泉天皇 れいぜいてんのう
(950年~1011年)
冷泉天皇は、村上天皇の第二皇子。
名を憲平(のりひら)といい、生後わずか2ヶ月で皇太子となりました。
村上天皇には藤原元方(もとかた)の娘との間に生まれた広平親王という第一皇子もいました。
しかし、皇太子となったのは憲平親王(冷泉天皇)。
そのため、孫の即位を願っていた藤原元方は、失意のうちに亡くなりました。
冷泉天皇は幼いときから奇行が目立ちました。
一日中蹴鞠(けまり)をして鞠(まり)を梁に乗せようとしたり、父の村上天皇に男性の陰茎の絵を送ったり・・・。
これらは藤原元方の怨霊によるものだと言われました。
奇行が目立つ憲平親王(冷泉天皇)は天皇にふさわしくない。
そう考える者も多かったが、憲平親王の祖父は藤原家の実力者・師輔(もろすけ)でした。
そのため村上天皇が亡くなると、予定通り18歳で皇位を継ぐことになりました。
即位後すぐに後継者争い
天皇の即位後。
冷泉天皇に期待していなかった臣下たちは、すぐに次の天皇をめぐる争いをはじめました。
候補に挙がったのは、冷泉天皇の弟の守平親王(もりひらしんのう)と、為平親王(ためひらしんのう)。
為平の妃の父親は、左大臣・源高明でした。
源高明が強力になるのを恐れた藤原氏。
守平親王を皇太子にし、さらに謀叛を密告して高明九州に左遷しました。
この事件により、藤原摂関家の体制はさらに強固になりました。
969年。
冷泉天皇はわずか3年で退位し、11歳の弟・守平親王に皇位を譲りました。