<出典:wikipedia>
第76代天皇
近衛天皇 このえてんのう
(1139年~1155年)
1139年。
近衛天皇は、鳥羽天皇と藤原得子とのあいだに誕生。
名を体仁(なりひと)といいました。
母の藤原得子は、鳥羽上皇(鳥羽天皇)にとても寵愛されていました。
そのため、体仁親王は生後3ヶ月で皇太子に。
3歳の時に即位して近衛天皇となりました。
そして、幼い近衛天皇に代わって、政治は父の鳥羽上皇が行うことになりました。
幼い近衛天皇は御帳から出ることなく、御所に引きこもって生活していました。
『今鏡』によると「器量も性格も本当に可愛らしく、この世のものとは思えないほど賢く大人びていた」ようです。
しかし、生まれつき病弱で15歳の時に重い眼病を患いました。
そして、1155年。
政治の表舞台に立たないまま、17歳の若さで亡くなってしまいました。
若くして亡くなった近衛天皇には子どもがいませんでした。
そのため、兄の後白河天皇が皇位を継ぐことになりました。
しかし、この皇位継承が崇徳上皇とのあいだに軋轢を生み、保元の乱へとつながりました。
ちなみに近衛天皇の在位中。
延暦寺や興福寺の僧徒が都に現れて、強硬な態度で訴えを起こしてきました。
これに毅然と対応したのが平清盛でした。
平清盛は安芸守(あきのかみ)に任じられて、瀬戸内海の制海権を確保。
その後、平家全盛期を築き上げました。