第48代天皇 称徳天皇

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<出典:wikipedia

第48代天皇
 称徳天皇 しょうとくてんのう
(718年~770年)

一度は政界から引退した孝謙上皇でしたが、病気が回復すると再び政界へ。
淳仁天皇を淡路へ島流しにすると、764年。
再び天皇に即位して、称徳天皇になりました。

称徳天皇は仏教に対する信仰が厚く、聖武天皇が作った東大寺と並ぶ西大寺を建設。
四天王像の安置を熱心に行いました。
しかし、巨大寺院の建設には多額の資金が必要となります。
そのため国家財政に大きな負担をかけ、大きな反発を呼びました。

また、称徳天皇は道鏡を溺愛しました。
765年に道鏡を太政大臣禅師に任命すると、翌年。
今度は法王に命じました。
権力を持った道鏡は、法王宮職を設置。
これにより、政治に対しても大きな影響力を持つようになりました。

道鏡はもともと弓削氏(ゆげし)出身の僧でした。
弓削氏は地方の中小豪族にすぎなかったのですが、道鏡のおかげで中央に進出。
やがて、政治にも関与するようになっていきました。

道鏡の野望はさらに膨らんでいきました。
役職のトップにまで登りつめた道鏡は、ついに天皇になりたいと考えはじめたのです。
ちょうどその時。
大宰府の主神・習宜阿曽麻呂(すげのあそまろ)から
「道鏡が天子になれば、天下は太平となる」
という神託が届けられました。

こうして道鏡の野望は達成するかに見えましたが、さすがに称徳天皇も悩みました。
そこで、あらためて勅使を派遣。
勅使・和気清麻呂(わけのきよまろ)は宇佐八幡宮へ向かい神託をもらいにいきました。
「わが国では臣下を君主にしたことはない。皇位には必ず皇族をあてよ」
この神託により、道鏡の野望は潰えてしまいました。

770年。
称徳天皇がの病状が日増しに悪化し、亡くなってしまいました。
すると後ろ盾を失った道鏡は失脚。
下野国に流されました。

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