<出典:wikipedia>
第42代天皇
文武天皇 もんむてんのう
(683年~707年)
683年。
文武天皇は草壁皇子の子どもとして誕生。
幼いころは軽皇子(かるのみこ)と呼ばれまていました。
697年。
文武天皇は持統天皇から天皇の位を譲り受け、15歳の若さで天皇となりました。
天皇になった文武天皇は、中国(唐)との関係を修復。
30年におよぶ国交断絶を回復し、遣唐使を再開しました。
また、「大宝律令」を施行。
持統天皇の代で不十分だった律令制度を完成させました。
文武天皇は、ヤマト政権の支配領域も拡大。
種子島や薩摩を支配下におきました。
第43代天皇
元明天皇 げんめいてんのう
(661年~721年)
元明天皇は草壁皇子の妃で、文武天皇の母親でした。
706年。
文武天皇の病気が悪化しました。
すると、文武天皇は母の元明天皇(阿部皇女)を後継者として指名しました。
元明天皇はそれを断りますが、繰り返し要請を受けたため、文武天皇が亡くなる直前に承諾しました。
文武天皇が母に頼んだ背景には、文武天皇の子どもがまだ幼く、中継ぎの天皇が必要だったことがありました。
708年。
武蔵国秩父群から和銅(精錬の必要がない銅)が産出されました。
これを「神が政治を愛で祝福した証拠」と受け止め、年号を和銅に改めました。
第44代天皇
元正天皇 げんしょうてんのう
(680年~748年)
草壁皇子、文武天皇が病弱だったため、女性の天皇が相次いで誕生しました。
元正天皇も女性天皇の一人。
草壁皇子と元明天皇のあいだに生まれ、名を氷高皇女(ひたかのひめみこ)といいました。
715年。
氷高皇女は元明天皇から天皇の位を譲り受け即位。
元正天皇となりました。
718年。
政権の実力者であった藤原不比等らによって「養老律令」が完成。
720年。
舎人親王らによって『日本書紀』が完成しました。