<出典:城とか陵墓とか>
第85代天皇
仲恭天皇 ちゅうきょうてんのう
(1218年~1234年)
1218年。
仲恭天皇は順徳天皇の第一皇子として誕生。
母は九条立子(りゅうし)で、名を懐成(かねなり)といいました。
史論書『愚管抄(ぐかんしょう)』によると、「順徳天皇の父・後鳥羽上皇が、仲恭天皇の誕生を待ち望んでいた」といいます。
実際、誕生からわずか1ヶ月で、仲恭天皇は皇太子になりました。
仲恭天皇が誕生したころ。
後鳥羽上皇は討幕計画を立てており、順徳天皇はこれに協力していました。
しかし、天皇の位のままでは様々な制約があります。
そこで、順徳天皇は皇位を譲ることを決意。
仲恭天皇はわずか4歳で天皇になりました。
このとき、摂政として代わりに政治を行う役を担ったのは、仲恭天皇の叔父の九条道家(くじょうみちいえ)でした。
1221年。
承久の乱が勃発。
仲恭天皇は道家の九条邸に逃れました。
『神皇正統記(じんのうしょうとうき)』によると、このとき三種の神器が閑院内裏に置かれたままで、当時の混乱が伝わってきます。
承久の乱は、後鳥羽上皇側があっさりと敗けて決着。
仲恭天皇は鎌倉幕府によって天皇の位から降ろされてしまいました。
在位期間わずか70日。
即位式も大嘗祭(だいじょうさい)も行われないまま天皇の座を降りたため、「半帝」「九条廃帝」などと呼ばれました。
ちなみに70日という在位期間は、歴代天皇のなかで最短です。
その後、九条邸で暮らすようになった仲恭天皇は、17歳の若さで亡くなってしまいました。