<出典:wikipedia>
第78代天皇
二条天皇 にじょうてんのう
(1143年~1165年)
二条天皇は、後白河天皇の第一皇子。
名を守仁(もりひと)といい、鳥羽法皇の后のもとで育ちました。
鳥羽法皇に可愛がられていた二条天皇は、天皇候補として期待されていました。
しかし、近衛天皇が亡くなったとき、「父である後白河天皇を飛び越えて即位するのは問題」とされたため、すぐには天皇になれませんでした。
1158年。
二条天皇は、父・後白河天皇から皇位を譲り受け、天皇となりました。
翌年。
藤原信頼や源義朝らにより”平治の乱”が勃発。
二条天皇は御所に幽閉されてしまいました。
これを救ったのが、平清盛でした。
美男子だった二条天皇は女装して、御所から脱出したといわれています。
“平治の乱”が終結すると、二条天皇は藤原経宗(つねむね)や藤原惟方(これかた)らの補佐を受けて、天皇中心の政治をはじめました。
二条天皇は真面目で、いいかげんな後白河法皇とは対照的。
そのため、両者はしばしば対立することとなりました。
しばらくして、後見役の美福門院が亡くなりました。
すると、後白河法皇側が二条天皇側の要人を次々と失脚させてしまいました。
要人が失脚し、弱体化した二条天皇
後白河上皇に憲仁親王(高倉天皇)が生まれると、状況は一変。
後白河上皇は憲仁親王を皇太子にしようと企み、これを機に二条天皇が攻勢に出ました。
二条天皇は平時忠や藤原成親など、院政派の要人を解雇。
さらに後白河院政を停止させました。
こうして政治の実権を掌握した二条天皇。
平清盛らの協力を得て、本格的な天皇親政をはじめようとしました。
しかし、その矢先の1165年。
病気のため23歳の若さで二条天皇は亡くなってしまいました。