第37代天皇 齋明天皇

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第37代天皇
 齋明天皇 さいめいてんのう
(594年~661年)

654年。
孝徳天皇が亡くなったため、皇極天皇が齋明天皇となり再び天皇の座につきました。
齋明天皇は、両槻宮(ふたつきのみや)を建設。
「狂気の溝」と呼ばれる大運河も作りました。
この運河を作るには、大規模な工事と多額の資金が必要になり、その資金を負担させられた人々からは、苦しみの声が上がりました。

孝徳天皇の皇子であった有間皇子は、政治争いに巻き込まれるのを嫌がり、ずっと心の病を持っているフリをしていました。
しかし、大運河造りに蘇我赤兄(そがのあかえ)が反対するとそれに同調します。
赤兄は、これを密告。
有間皇子は即座に逮捕されて処刑されてしまいました。
これは中大兄皇子側のワナだったと言われています。

朝鮮半島での戦い

この時期、朝鮮半島では新羅が中国(唐)と組んで百済を圧迫。
660年に、百済が滅んでしまいました。
すると、百済の大臣だった人たちは、日本に百済復興への助力を求めてきました。
中大兄皇子はこれに応じ、各地から兵を動員。
朝鮮半島に送り込みました。
同時に、齋明天皇とともに九州の朝倉宮へ行き、戦争の指揮をとりました。
ところが、翌年。
齋明天皇は九州で病死してしまいました。
そこで、中大兄皇子は皇太子のまま政治を行いました。

663年。
唐・新羅の連合軍に日本は惨敗。
唐・新羅が日本に来襲する危険が生まれてしまいました。
即位して天智天皇となった中大兄皇子は、日本存亡の危機と戦うことになりました。