第61~62代天皇 朱雀天皇~村上天皇

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第61代天皇
 朱雀天皇 すざくてんのう
(923年~952年)

923年。
朱雀天皇は、醍醐天皇の第十一子として誕生。
醍醐天皇が菅原道真の怨霊を恐れ退位したため、8歳で天皇となりました。
幼い朱雀天皇に代わって政治を行ったのは藤原時平の弟の忠平でした。

朱雀天皇の在位期間。
承久の乱・天慶の乱が起こりました。
ほぼ同時期に東西で起こったこの内乱を、朝廷はなかなか鎮圧できませんでした。
特に平将門の制圧には苦戦。
平将門は常陸や下野、上野の国府を攻め落とし自らを「新皇」と称しました。
これに対し朝廷は、地方豪族の力を借りてようやく制圧を完了しました。

この乱で活躍したのは平貞盛、藤原秀郷、源経基。
ここから源氏と平氏が勢力を伸ばし始めました。


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第62代天皇
 村上天皇 むらかみてんのう
(926年~967年)

926年。
村上天皇は、醍醐天皇の第14子として誕生。
名を成明(なりあきら)といいました。

946年。
24歳の村上天皇は、朱雀天皇に位を譲位され、第62代天皇となりました。

天皇となった村上天皇は、藤原忠平を太政大臣に。
左大臣に藤原実頼(さねより)、右大臣に藤原師輔(もろすけ)を起用しました。
こうして、太政大臣も左大臣も右大臣も、藤原忠平の一族で占められました。

重役は藤原氏でうまりますが、村上天皇は自ら政治を主導します。

承久・天慶の乱で荒廃した地方に、落ち込んでしまった政府の収入。
これらを改善するため、租税の確保や倹約に力を入れました。
さらに文芸も奨励。
「天暦の治」と呼ばれる善政を行いました。

また、この時期の宮廷では盛んに詩合・歌合が行われ、『後撰和歌集』が編集されました。