最澄(平安時代)

saichou

<出典:wikipedia

最澄(さいちょう) 767年~822年

 

767年。

滋賀県の豪族のもとで生まれた最澄

12歳で寺に入り、19歳のときに奈良の東大寺で正式にとなります。

 

僧になった最澄は、
「仏教の本来の姿は、恵まれない人々を救うことにある」
と考えるようになります。

そして、堕落した奈良の寺へは行かなくなり、比叡山に小さな寺を作って修行を開始。

様々な経典を学びます。

経典の中で、鑑真がもたらした天台の教えを見つけます。

「すべての人は仏になれる」と。

最澄は、これこそ自分の求めていた教えだと気づきました。

 

桓武天皇により唐へ渡る

このころ、桓武天皇は政治を立て直すため平安京へ都を移していました。

最澄は、奈良の仏教勢力を排除したかった桓武天皇に知られると、天皇のそばに仕えるようになります。

804年。

桓武天皇の保護を受けた最澄は遣唐使として中国(唐)へ渡りました。

唐についた最澄は、都の長安にも行かず、すぐに天台宗の道場「天台山」へ!!

そこで、天台宗の教えを学び、多くの経典を手に入れました。




天台宗を開く

805年。

帰国した最澄は天台宗を開きました。

そして翌年、桓武天皇が亡くなる直前に、天台宗が正式に認められました。

最澄は僧に厳しい修行を求め、「仏を信じれば誰でも仏になれる」と教えます。

この教えは、本当の仏教を学ぼうとする僧たちの間に広まっていきました。

 

天台宗を開いた最澄は、天台宗で独自の層を養成しようと考えます。

そこで朝廷に、比叡山にも戒壇を設けることを願い出ます。

しかし、すでに桓武天皇が亡くなっていて奈良の仏教勢力が反対をしたため、認められませんでした。

 

822年。

ついに戒壇の設立が認められます。

しかし、その1週間後、最澄は病死してしまいます。

ちなみに翌年、寺の名前が延暦寺と名付けられ、44年後、最澄に「伝教大使」の名が送られました。