戦国時代の流れと軍師・姫・戦い方を解説2

戦国時代の軍師

<出典:wikipedia

初期の戦国時代。
まだ今のような軍師という考え方はありませんでした。
当時は占いや祈祷といった呪術的なことで、出陣の吉凶を占ったり日時・方角をアドバイスをするのが軍師の仕事。
戦略や戦術はあまり練られていませんでした。

戦の作戦を軍師が考えるようになるのは戦国時代中頃。
このころになると戦の規模が数千を超えるようになり、マインドコントロールで兵の士気を高めるより、きちんとした戦略・戦術をもって戦いに望むほうが重要になりました。
こうして、様々な軍師が現れ活躍しました。

軍師の中で特に有名なのが、黒田官兵衛、竹中半兵衛、山本勘介。
この3人は戦国三大軍師と呼ばれています。

黒田官兵衛は豊臣秀吉に仕えた軍師。
本能寺で信長が亡くなると、落ち込む秀吉にたいし「すぐに引き返して仇を討つように」とアドバイス。
これにより、秀吉は天下を取ることができました。
頭がよすぎて秀吉に警戒されるほどキレ者でした。

竹中半兵衛も秀吉に仕えた軍師。
信長でも落とせなかった主君の居城・稲葉山城を、わずか16人の部下とともに1日で奪ったという逸話が有名です。
日本の諸葛孔明といわれるほどの才ががりましたが、病で早々に亡くなってしまいました。

山本勘介はとにかく顔がブサイクでした・・・。
もともと今川家にいましたが、周りから嫌われ、旅をしながら城の攻略法を学ぶことになりました。
そんな勘介をそばに置いたのが武田信玄でした。
その後、信玄の片腕として活躍を続けた山本勘介ですが、上杉謙信に戦術「キツツキ」を見破られ戦場で討ち死にしました。

戦国時代の姫

姫というと優雅なイメージがあるかもしれませんが、この時代の女性たちはそうではありませんでした。

室町幕府の力が弱くなると、近隣の国との関係が緊迫。
そこで、同盟の証として姫を人質として差し出すことになりました。
姫は断ることができず、有無も言わさず遠い国に嫁がされることになりました。
しかも姫には、嫁ぎ先の動きを監視し報告するという役割も担わされていたため、なかばスパイのような状況でした。
そのため、夫には不信感を抱かれたり、人質として肩身の狭い思いをしたりすることも多かったようです。
また、政略結婚で結ばれた同盟が破棄された場合は、姫は国に返されたり処刑されたりしました。
お城でお姫様として暮らしていたとしても、城が落ちれば兵たちの慰み者になるケースも多かったようです。

>>戦国時代の女性一覧

 

戦国時代の戦い方

戦国時代になるとそれまでと戦い方が少し変わりました。

鎌倉時代くらいまでの戦は、一種の個人戦。
「誰がどれだけの武勲を上げたか」をわかりやすくするために名乗りを上げて戦っていました。

しかし、元寇の影響もあり戦国時代のころから足軽などの歩兵の重要性が再認識されました。
そして、乱戦では馬上の兵士一人を10人の歩兵取り囲むという状況が普通になりました。

とはいっても、兵士の多くは農民などの寄せ集め。
当然、主君のために命をかけるつもりはなく、乱戦になって斬りあうことは少なかったなかったようです。

乱戦では寄せ集めた兵が逃げ出す可能性が高かったため、この頃の戦いは弓矢や投石などの遠距離攻撃が主流。
のちに鉄砲が普及し、さらに遠距離攻撃の重要性が増しました。