第15代天皇 應神天皇

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<出典:wikipedia

第15代

 應神天皇 おうじんてんのう (200年~310年)

 

應神天皇は、仲哀天皇の第四皇子で、母は神功皇后。

應神天皇には神話のような話も多いですが、多くの歴史学者が「実在が確かめられる」と考えています。

歴史の教科書でも天皇の中で最初に取り上げられることが多く、『宋書』にでてくる”倭の五王”の一人とも考えられています。

生まれたのは200年ころとされていますが、実際は400年ころだったのではないかと考えられています。

 

應神天皇の父、仲哀天皇が亡くなった後。

政権が神功皇后の手に移ります。

人々は神功皇后を天皇と同格に扱い、應神天皇が即位するまでの69年間、神功皇后が政治を行いました。

 

仲哀天皇が亡くなると、神功皇后は神のお告げに従い、朝鮮の国「新羅」を攻めます。

新羅を屈服させると、「百済」「高句麗」も降伏。

三韓征伐が完了します。

朝鮮を制圧した神功皇后は、幼い應神を伴って大和に帰還。

しかし、ここで仲哀天皇の子どもが反乱を起こします。

神功皇后と武内宿禰(たけうちすくね)はこの反乱を鎮圧。

その後、應神天皇は天皇となり内政・外交に力を注ぎました。

應神天皇の政治

当初、大和の軽島豊明宮に都をおいていた應神天皇。

のちに、難波(大阪)に都を移します。

 

また應神天皇は、海辺で働く部民を「海部」とし、山で働く部民を「山部」と名づけます。

ヤマト政権にはもともと服属する官人・人民を「部(べ)と呼ぶ制度があり、新たに海部と山部を作ることで、農民だけでなく漁師や山の民も支配しようとしたのです。

 

應神天皇は、新羅・百済との交流も盛んに行いました。

秦氏や漢氏など、渡来系の氏族を積極的に受け入れ、土木、養蚕、機織りといった技術が日本に入ってきました。

『古事記』には、百済王よりつがいの良馬2頭の献上があったとも書いてあります。

そのため、これが日本の馬の始まりとも考えられています。

 

111歳で亡くなったとされる應神天皇。

仁徳天皇陵につぐ全長420メートルの巨大な前方後円墳に埋葬されました。