第10~11代天皇 崇神天皇~垂仁天皇

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第10代天皇
 崇神天皇 すじんてんのう
(紀元前148年~紀元前30年)

学術上、実在の可能性が高い初めての天皇が崇神天皇です。
崇神天皇は、奈良県桜井市の三輪山麗を中心に領土を拡大し、大和政権の基盤を作ったと考えられています。

崇神天皇が政治をおこなっていたころは、疫病が流行しました。
そこで天照大神と倭大国魂神(やまとおおくにたまのかみ)を殿内に祀るのをやめ、天照大神を笠縫邑(かさぬいのむら)に移しました。
これが後に伊勢神宮の誕生につながります。

また、崇神天皇は、「四道将軍」として将軍を派遣しました。

大彦命(おおびこのみこと)を北海道に。
武渟川別命(たけぬなかわわけのみこと)を東海道に。
吉備津彦命(きびつひこのみこと)を吉備・山陽道に。
丹波道主命(たんばのみちのぬしのみこと)を山陰道に。

こうして、崇神天皇に従わないものを討伐していきました。

崇神天皇は、税制もつくりました。
男女に「調(みつぎ)」と呼ばれる税を課していて、外国との貿易もしていたようです。

ちなみに、崇神天皇の登場を境に多数の原始的国家が統合したという見方が多く、崇神天皇を初代天皇と考えたり、崇神天皇と神武天皇を同一視する見方もあります。


 

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第11代天皇
 垂仁天皇 すいにんてんのう
(紀元前69年~紀元後70)

垂仁天皇は崇神天皇の三番目の子ども。
古代天皇のなかでも実在していた可能性が高い天皇です。

垂仁天皇は崇神天皇の政策を引き継ぎ、生産力の拡充や、新羅(朝鮮の国)などとの交流を積極的に行いました。
特に水田開発を熱心に行い、諸国に800余りの池・溝を作りました。

垂仁天皇は殉死の風習も排除しました。
その代わりに埴輪を使うことで、殉死する者を減らしました。

伊勢神宮に天照大神を祀ったのもこの時代でした。
天照大神に奉仕していた垂仁天皇の第4皇女・倭姫命(やまとひめのみこと)が鎮座すべき地を求めて、たどり着いたのが五十鈴の川上(三重県伊勢市)。
ここに、祠をたて、創祀しました。