第67~69代天皇 三条天皇~後朱雀天皇

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第67代天皇

三条天皇 さんじょうてんのう
(976年~1017年)

 

 

三条天皇は、冷然天皇の第二皇子。

11歳で元服し、皇太子になりましたが、なかなか天皇の地位につけませんでした。

1011年。

一条天皇の病気が悪化すると、ようやく即位。

天皇の位に就いたのは36歳のときでした。

 

『栄花物語』には、三条天皇について

「成長されて立派で男らしい。藤原道長も、どの天皇にも劣らない立派な人物だと思っている。」と書かれています。

しかし、実際には道長との関係は良好とは言えなかったようです。

 

しばらくして、三条天皇は眼の病気を発症。

退位に追い込まれてします。

そこで三条天皇は、自分の子である敦明親王への譲位を望みます。

しかし、藤原道長の勢力には逆らえず、一条天皇の子どもの敦成親王(あつひらしんのう)に位を譲ることとなりました。





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第68代天皇

後一条天皇 ごいちじょうてんのう
(1008年~1036年)

 

藤原道長は自分の権力を安定させるために、自分の娘を一条天皇の后にします。

その努力が実ったのが、1008年。

藤原道長に孫が生まれたのです。

孫の名前は敦成(あつひら)。

敦成の父は一条天皇で、母は藤原彰子でした。

 

1016年。

9歳の敦成は天皇に即位し、後一条天皇となります。

当然、自分で政治を運営できませんから、摂政が必要に。

天皇の祖父である藤原道長が摂政になり政治を行うようになります。

翌年。

藤原道長は摂政の位を、自分の子どもの藤原頼道に譲ります。

そして、自らは太政大臣となました。

さらに道長は、三女を天皇の后にします。

こうして天皇家史上初の「一家三后」の状態が出来上がります。

 

9歳で即位した後一条天皇はそのまま政治に興味を示すことなく、1036年。

29歳の若さで亡くなりました。





第69代天皇

後朱雀天皇 ごすざくてんのう
(1009年~1045年)

 

1009年。

後朱雀天皇は一条天皇と藤原彰子のあいだに生まれ、名を敦良(あつなが)といいました。

 

兄の後一条天皇が即位した時、皇太子の位についていたのは敦明親王でした。

しかし、自分の孫を天皇にしたかった藤原道長は敦明親王に嫌がらせを開始。

敦明親王を皇太子辞退へ追い込みます。

こうして、新たに皇太子になったのが敦良(後朱雀天皇)でした。

 

後朱雀天皇は明るい性格で、才気にあふれていました。

しかし、関白の藤原頼道らが政治の実権を握っていたため、直接政治を行うことができませんでした。

そして1045年。

後朱雀天皇は疱瘡により、37歳で亡くなってしまいました。