鎌倉時代– tag –
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鎌倉時代 人物
牛若丸こと源義経が戦っている時、兄の今若丸と乙若丸は何をしていた?
<出典:wikipedia> 1160年。 源義朝が平治の乱で敗戦し、謀反人として亡くなった時、平氏によって息子の源頼朝は伊豆へ流罪にされました。 頼朝の異母弟、今若丸・乙若丸・牛若丸も出家することを条件に助命されました。 牛若丸こと源義経(1159年~1189... -
歴史の雑学
「平家」はあるのに、どうして「源家」はないの?
学校で源平の歴史を学び、ふと考えたことはなかったでしょうか? 「平氏→平家」と言うのに、「源氏→源家(げんけ)」と言わないのか、と。 今回はそんな疑問を解決します!! 「氏」と「家」の意味の違い 「平」というのは、日本において皇族が臣籍降下する... -
鎌倉時代 人物
サラブレット源頼朝!鎌倉時代を切り開いた男の生涯と謎の死
鶴岡八幡宮から住宅地を抜けていくと、そびえるような石段のむこうに小さな鳥居があらわれます。 一段一段とのぼって鳥居を潜ると、そこにひっそりと源頼朝の墓がたたずんでいます。 鎌倉幕府の開祖であり、武家政権の礎を築いた源頼朝は、この近辺で鎌倉... -
歴史の雑学
X線で発見!源頼朝の身体の一部が入った観音像
<出典:wikipedia> 近年、源頼朝の肖像画だとされていた神護寺の絵が、足利尊氏の弟である足利直義ではないかと言われるようになりました。 では、源頼朝はどのような顔をしていたのか? 気になりますね。 今のところ、前の肖像画に代わる肖像画は見つか... -
歴史の雑学
源義経の弁明状「腰越状」。兄・頼朝と意識のズレが明確に!!
江ノ電の始発である鎌倉から江の島をのぞむ沿岸を過ぎると、ほどなくして腰越に到着。 すぐむこうには腰越海岸がみえます。 腰越海岸にさしかかるあたりに、傾斜がある細長い石段と、そのてっぺんに山門がみえます。 これが、源義経の「腰越状」で知られて... -
鎌倉時代 人物
美しき白拍子・静御前が貫いた源義経への愛を歌からご紹介
鶴岡八幡宮の三の鳥居を鳩がゆるりと抜けていきます。 八幡の信仰では縁起物とされる鳩たちは、表参道の石畳をまっすぐに飛びぬけて、三の鳥居からみて正面に位置する舞殿で羽根を下しました。 かつて美しき白拍子が舞い踊ったエピソードがあります。 源義... -
鎌倉時代 人物
源頼朝の息女・大姫!婚約者を想い続けた一途な人生
鎌倉時代初期。 鎌倉の地で一途に婚約者を思い続けた女性がいました。 彼女は源頼朝と北条政子夫妻の長女にあたり、大姫と呼ばれました。 源頼朝の妻・北条政子や、木曾義仲の妾であった巴御前のように知名度があるわけではなく、また誰かの妻であったり、... -
鎌倉時代 人物
鎌倉幕府の立役者・和田義盛!武闘派政治家がむかえた最期。
由比ガ浜の波音を打ち消すように、むせび泣く老いた男がいました。 鎌倉幕府の重鎮ともいうべき存在である和田義盛です。 そして、彼自身も息子たちを追って黄泉の国へと旅立ちました。 後世、和田塚と名づけられたこの場所では、和田合戦が繰り広... -
歴史の雑学
驚きの恋愛経験ばかり!後深草院二条
はじめに 後深草院二条は、日記『とはずがたり』の作者。 名前から分かるように、彼女は後深草院に愛された女性なのですが……この人の恋愛というのが、なかなかすごい! 『とはずがたり』には、彼女の恋愛がいくつか記されています。 後深草院との関係 二条... -
鎌倉時代 人物
百発百中の弓の天才!女性武将・板額
<出典:wikipedia> はじめに 板額(はんがく)は、甥である城 資盛(じょう すけもり)と共に鎌倉幕府軍と戦い苦しめたという弓の名手。 かっこいい名前から男性かな?と思う人もいるかもしれませんが、板額は女性です。 彼女は男性にも引けを取らない戦...