幕末– tag –
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武道
最後の剣客にして天覧兜割りの成功者、榊原鍵吉
<出典:wikipedia> はじめに 「剣の達人」といえば多くの術技に精通し、華麗な剣さばきで敵を寄せ付けないといった強さをもつ人を想像するかもしれません。 たしかにそういった剣士像もひとつの強さの形ですが、なかにはただひたすらにシンプルな技を極... -
歴史の雑学
司馬遼太郎が「明治国家の父」と評した。日本を支えた小栗忠順の業績!
<出典:wikipedia> はじめに 2世紀以上にわたり続いた江戸幕府。 1853年に黒船が来航したことで、開国か鎖国か、世の中が騒然とします。 そして、幕府が新政府に倒されて日本は開国に至りました。 当時の勝者である明治政府の説明によると、歴史はこんな... -
歴史の雑学
おならは高額の罰金?幕末・明治の鉄道事情
北陸新幹線、北海道新幹線など、近年日本の鉄道は目覚ましい発展を遂げています。 私たちは日常的に電車を使い、旅行となると新幹線を多用します。 狭い島国である日本にとって、鉄道は無くてはならない存在です。 では、日本に鉄道が入って来たのはいつ頃... -
武道
朴訥にして剛毅、新撰組でおなじみ「天然理心流」
はじめに 幕末の京都を駆けた剣客集団、「新撰組」。 メディア作品でもしばしば取り上げられる、洛中の治安維持を主な任務とした幕府の武装警察集団です。 彼らの生き様は現代に生きる私たちにも大きな感銘を与え続けていますが、その中核を担った幹部たち... -
江戸時代 人物
医師・松本良順の健康法は海水浴?父親は順天堂の祖で新選組とも深い関係!
<出典:wikipedia> 松本良順 まつもと りょうじゅん 天保3年6月16日(1832年7月13日) - 明治40年(1907年)3月12日) 幕府医学所頭取を務める松本良順宅では、「よもや、斬り殺される!」と震えながら、奥間へ案内される客人を門弟や家人たちが... -
歴史の雑学
黒船来航! ペリー提督をどんな食事でもてなした?
<出典:ヒトサラ 卓袱料理> はじめに 約280年の長きにわたった江戸時代。 その最末期を「幕末」と呼んでいます。 具体的には明治元年(1868年)以前の15年間のこととされており、その始まりが嘉永6年(1853年)の黒船来航です。 ペリー提督率い... -
歴史の雑学
カミソリ大臣・陸奥宗光「大事なことはすべて坂本龍馬に教えられた」その関係とは?
<出典:wikipedia> 1868年1月1日——刀の柄の感触を確かめ、暗闇の中、陸奥宗光は息をひそめます。 京都・油小路にある旅籠の様子を探りながら、陸奥宗光が率いる海援隊・陸援隊の隊士たちは、天満屋を襲撃する機会を狙っていました。 天満屋に滞在してい... -
歴史の雑学
表は商人、裏では尊攘の志士!!池田屋事件の発端・古高俊太郎とは?
<出典:wikipedia> 古高 俊太郎 ふるたか しゅんたろう 文政12年4月6日(1829年5月8日) - 元治元年7月20日(1864年8月21日) はじめに 時代は1864年、梅雨の頃。 高瀬川には荷物を積んだ小舟がたくさん行き交い、船頭が手際よく木屋町通に建ち並ぶ商屋... -
江戸時代 人物
逃げの小五郎。乞食・町人になりすまし袴を脱いで逃走!!
<出典:wikipedia> はじめに ときは幕末。 蛤御門の変で京都市内に延焼した火災が原因で、鴨川のほとりには多くの市民が避難生活をしていました。 その避難民に乞食として紛れていたのが、尊王攘夷派のリーダー・長州藩士・桂小五郎でした。 「逃げの小... -
歴史の雑学
新選組の「魁先生」藤堂平助!伊勢津藩ご落胤説の真相は?
<出典:wikipedia> はじめに 文久3年4月16日。 京都守護職会津藩本陣・金戒光明寺の敷地内で、会津藩主松平容保主催の御前試合が行われていました。 この御前試合に参加していた壬生浪士たちの中でも、とりわけ周囲の目を引く組み合わせだったのが、第一...