kisha– Author –
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江戸時代 狂歌の裏には 教養が それにつけても 金の欲しさよ
泰平の 眠りをさます 上喜撰(蒸気船) たった四はい(四隻)で 夜も眠れず 中学や高校の日本史の授業でこの歌を目にした覚えはありませんか。 これは1853年の米軍人ペリーが浦賀に4隻の軍艦(蒸気船)を率いて開国を要求した時のことを、 宇治の高級茶... -
X線で発見!源頼朝の身体の一部が入った観音像
<出典:wikipedia> 近年、源頼朝の肖像画だとされていた神護寺の絵が、足利尊氏の弟である足利直義ではないかと言われるようになりました。 では、源頼朝はどのような顔をしていたのか? 気になりますね。 今のところ、前の肖像画に代わる肖像画は見つか... -
七卿落ちの公卿・東久世通禧は凄腕の政治家だった
現代では、「七卿落ちの公卿」「開拓使で島義勇を罷免した人」「岩倉使節団に同行していた公卿」とクローズアップされる東久世通禧(ひがしくぜ みちとみ)。 実は明治時代に相当な評価をされた人物で、旧大名家と同等程度の家格でありながら、伯爵となっ... -
現代人も惚れる・平知盛!人間的な魅力あふれる男の生涯
<出典:wikipedia> 琵琶法師の弦の音に合わせて紡がれる平家物語には、魅力的なシーンがいくつもあります。 中でも盛り上がるのは、平知盛(たいら の とももり)が自害するシーン。 壇ノ浦で平家が滅びるしかないと分かり、平知盛が潔く壇ノ浦の海へ飛... -
戦国乱世の薬剤師・徳川家康
戦国の乱世から江戸時代初期にかけて、大名から公家にいたるまで調薬を依頼していた凄腕の薬剤師がいました。 江戸幕府初代征夷大将軍・徳川家康そのひとです。 260年にわたる天下泰平の世をもたらした徳川家康。 実は凄腕の薬剤師でした。 徳川家康はスゴ... -
五稜郭に行ったら斐三郎の銅像に触れろ!設計者・武田斐三郎とは?
世界三大夜景の箱館のきらめきのように、輝きを放っている函館の要塞・五稜郭。 当時では珍しい西洋式の要塞で、函館戦争では旧幕軍の拠点となりました。 この五稜郭にはあるウワサがあります。 それは五稜郭にある武田斐三郎(たけだ あやさぶろう)の彫... -
龍神に守られし「宇治の宝蔵」に納められた宝とは
<出典:wikipedia> 日本の御伽草子などに登場する不気味で魅力的な秘密の蔵「宇治の宝蔵」。 藤原道長の息子の関白・藤原頼通(よりみち)が、1052年に宇治の別荘を寺に改めた平等院の阿弥陀堂(鳳凰堂)の南西にあったとされる経蔵のことをいいます。 ... -
茶人・千利休は、なぜ武士のように切腹したのか?
<出典:wikipedia> 1522年に和泉国・堺の商家の子として生まれた田中与四郎。 彼こそのちに信長、秀吉という2人の天下人に仕え、茶道千家流の始祖となった茶聖・千利休です。 しかし、彼は天下人・豊臣秀吉の逆鱗に触れ、切腹して果てました。 茶人のは... -
蝦夷共和国の総裁・榎本武揚の目的は何だったのか?
<出典:wikipedia> 五稜郭をかたちどる篝火(かがりび)が浮かび上がるのを眺めながら、新政府軍の参謀・黒田清隆は、陥落寸前の要塞に立てこもっている蝦夷共和国総裁・榎本武揚を降伏させる方法を考えていました。 榎本武揚(えのもと たけあき)が新政... -
源義経の弁明状「腰越状」。兄・頼朝と意識のズレが明確に!!
江ノ電の始発である鎌倉から江の島をのぞむ沿岸を過ぎると、ほどなくして腰越に到着。 すぐむこうには腰越海岸がみえます。 腰越海岸にさしかかるあたりに、傾斜がある細長い石段と、そのてっぺんに山門がみえます。 これが、源義経の「腰越状」で知られて...