<出典:wikipedia>
雪舟 せっしゅう(1420~1506)
1420年。
雪舟は岡山県の武士の家に生まれました。
幼いころは近くの禅宗(ぜんしゅう)の寺で修行。
10歳になると京都に出て、禅宗の相国寺(しょうこくじ)に入りました。
雪舟は禅宗の修業をしながら、水墨画を学習。
相国寺にいた周文(しゅうぶん)に絵を習います。
禅宗では教えを水墨画にあらわすので、これを習うことも修行のひとつでした。
40歳を過ぎたころ。
雪舟はすでに画家としても知られるようになっていました。
あるとき、中国地方を治めていた大内氏に招かれたため、それから山口県で画室を構えて絵の勉強をすることとなります。
中国にわたる
1467年。
大内氏が中国(明)への船を出すことになりました。
ずっと中国に渡ることを願っていた雪舟は、これに同乗。
中国に行くことになります。
中国についた雪舟は、天童子で禅の修行をし優秀な成績をおさめます。
また、北京で役所の壁に見事な壁画を描き、評判になります。
雪舟はさらに本場の水墨画に触れると、各地を巡り歩いて大自然をスケッチ。
腕を磨きます。
約1年間。中国で勉強した後、雪舟は日本に帰国します。
帰国した雪舟は、それから日本各地を旅しながら自然を描き続けます。
十数年で多くの山水画を残しました。
やがて、山口の画室にもどると、水墨画の大作に取り組み始めます。
そして、全長16メートルもある「山水長巻(さんすいちょうかん)」や、80歳を超えて作った「天橋立図(あまのはしだてず)」など、数々の名作を残しました。
1506年。
自然そのものを描く日本独特の水墨画を完成させた雪舟は、山口の地で亡くなりました。