<出典:wikipedia>
源頼朝(みなもとのよりとも) 1147年~1199年
1147年。
源頼朝は、源義朝(よしとも)の子として生まれます。
13歳の時に平治の乱が起きると、源氏と平氏の戦いに。
源氏はこの戦いに敗れると、父・義朝は殺されてしまいます。
源頼朝にも命の危機が訪れますが、平清盛の母、池禅尼(いけのぜんに)によって救われ、静岡で過ごすことになります。
静岡の伊豆に流された頼朝。
その後20年間、伊豆で過ごすことになります。
伊豆には豪族で平氏の流れをくむ北条時政がいました。
源頼朝は時政の娘の北条政子と結婚。
源氏の勢力を取り戻すチャンスを待ちます。
平氏は源氏を倒すと、権力を拡大。
政治を自由に支配しはじめました。
これに対し、1180年。
後白河法皇の皇子、以仁王(もちひとおう)は源頼政とともに兵をあげます。
しかし、京都府の平等院で戦いに敗れ、打倒平氏の願いは叶いませんでした。
源頼朝が平氏を討つ
以仁王の命令は頼朝にも伝えられていました。
頼朝ははじめ動こうとしませんでしたが、説得により、平氏を討つ決意を固めます。
そして、1180年。
北条時政の助けを得て兵をあげます。
挙兵した源頼朝ですが、戦いに負け千葉へと逃れます。
そして、基盤を固めて力をつけるため源氏に心を寄せる武士を集めて、鎌倉を本拠地に!
侍所などを作って新しい政治の仕組みを作っていきます。
その後、平氏を討つためにもう一度挙兵!
これに対し平氏は5万の大軍を送ってきます。
これを見事破った源頼朝は、弟の義経らを都に攻めのぼらせて、平氏を西に追いやっていきます。
1185年。
山口県での壇ノ浦の戦いで、ついに平氏を滅ぼします。
鎌倉幕府を開く
1185年。
源頼朝は、命令に従わない弟の義経をとらえるという口実で、国ごとに守護を、私有地に地頭を置くことにします。
そして、頼朝に従う武士は褒美として守護や地頭に任命しました。
頼朝に追われた弟・義経。
奥州の藤原氏のところに逃れます。
しかし、1189年。
かくまってくれた藤原秀衡が死ぬと、子の藤原泰衡が敵となり、義経は自殺。
源頼朝は義経をかくまったとして、奥州藤原氏も滅ぼしてしまいます。
こうして、頼朝は全国を支配することになりました。
あくまでも朝廷をたてて、朝廷での地位を望まなかった源頼朝。
鎌倉で武士のための政治を開始します。
1192年。
征夷大将軍に任命されると、正式に鎌倉幕府を開き、武家政治を開始します。
1199年。
幕府の基礎が固まったところで、源頼朝は落馬により亡くなってしまいました。