<出典:wikipedia>
行基(ぎょうき) 668年~749年
668年。
行基は大阪府で誕生。
父は百済からの渡来人の子孫でした。
行基は15歳で僧になると、道昭(どうしょう)などから仏教の教えを受け、仏の教えを多くの人々に伝えることの大切さを学びました。
当時の仏教は貴族たちだけのもので、貧しい人々には縁がありませんでした。
このような状況は本当の教えとは違うと感じた行基は、仏教を民衆へ広める決心。
そして、704年。
ふるさとへ帰った行基は、生まれた家を家原寺という寺にして仏教を広めるようになります。
各地をめぐり布教する
しばらくして、行基は弟子とともに各地をめぐり仏の教えを説くようになります。
こうして、仏教が一般の人にも広がります。
さらに、人々のために池を掘り、道を開き、橋をかけ各地をまわったため、多くの人に感謝されました。
都に税を運ぶ人のための休憩所”布施屋”も作りました。
次第に行基を慕う人が増えていき、その数なんと千人。
人々は次々に行基を拝みに来ます。
こうして、行基は「行基菩薩」として崇められました。
行基の教えが広まると、朝廷がその力を恐れ始めます。
千を超える人々が朝廷の命令を聞かなくなったら、世の中が混乱してしまうからです。
そこで717年。
朝廷は行基や弟子たちの布教活動を禁止。
しかし、行基はそれでも人々に教えを説いて回りました。
朝廷に認められる
一度は布教活動を禁止した朝廷。
次第に行基の活動を認めるようになります。
そして731年。
行基に従っている老人のみ、僧になることを許可しました。
743年。
聖武天皇は国を安定させるため大仏を作る計画を立てます。
しかし、大仏づくりには多くの資材と人々の協力が必要。
そこで、人望があり土木技術の知識を持った行基に協力を求めます。
行基はこれにこたえ、全国を巡って寄付を募ります。
そして、745年。
日本で初の大僧正という、僧で最高の位を授けられます。
749年。
81歳だった行基は、大仏の完成を見ることなくこの世を去ります。
大仏が完成したのは、それから3年後でした。