はじめに
日本最古の文学ともいわれる『万葉集』。
五・七・五・七・七の三十一文字で表す韻律を踏んだ日本独自の短い詩は、本来は唄いあげるため単に「歌」とも呼ばれています。
万葉集には古代の人々の豊かな抒情性と鋭い感性、自然に対するやさしいまなざし等が込められており、現在でも多くの人に愛唱されています。
そんな万葉集ですが、文学としての完成度以外にも当時の風習や考え方、そして暮らしぶりなどを伝える文化史的な価値にもあふれています。
ここでは、そんな万葉集を通じて当時の「食」に注目し、万葉人がどのようなものを食べていたのかを探ってみましょう。
食べ物を詠んだ、ユーモアあふれる和歌
格調高い文学性をもった万葉集ですが、なかにはとてもユーモアあふれる歌も残されています。
食べ物を詠んだ、そんな面白い歌を二首ご紹介しましょう。
石麻呂に われものもうす 夏痩せに
よしといふものぞ うなぎとり食せ
万葉集の編者であり、歌人として名高い大伴家持の歌。
「痩せ過ぎが心配な友人に、夏のスタミナ源としてウナギをすすめる」というほほえましいもので、もう一首、ウナギを捕りにいって川に流されないよう注意する歌が続きます。
現在でも夏場にはウナギを食べて元気を出すという風習がありますが、万葉の時代からすでに「夏痩せに効く」といわれていたことが分かります。
ちなみに、この時代にはまだ開いてタレをつけた「蒲焼き」は存在していないので、おそらく筒切りにして焼いたりして食べたものと考えられています。
醤酢(ひしおす)に 蒜(ひる)つきかてて 鯛願ふ
我にな見せそ 水葱(なぎ)の羹(あつもの)
持統朝の役人、長意吉麻呂という人物が宴席で詠んだとされる歌で、調味料や食材が複数詠み込まれています。
意味は「醤酢に蒜を混ぜ込んだソースで鯛を食べたいと願う私に、水葱の羹なんぞ見せてくれるな」といったお茶目なものです。
醤(ひしお)とは醤油の原型となるもので、しぼる前のペースト状のもろみ味噌のようなものです。
これに酢を加えた、いわば酢醤油のような調味料があったことを示しています。
また、蒜(ひる)とはニンニクのような香りと味のある野草で、ごく小さなタマネギのような姿をしています。
いまでも川原の土手などで採集することができ、山菜としても食されています。
水葱(なぎ)は安価な野菜、羹(あつもの)はスープのことです。
つまり、ニンニク酢醤油のようなソースで鯛を食べたい、と思っているところに、現実に引き戻すようなありふれた料理を見せないでくれ、といったユーモアを詠んでいるのです。
これらは万葉人の食文化のほんの一部を見せるものですが、実に楽しげで豊かな雰囲気を感じさせます。
特に「味付け」についてはまだまだ不明な部分も多いため、歴史的な研究対象としても注目され続けています。