はじめに
歴史好きではなくとも、「北辰一刀流」という剣術流派の名前は耳にしたことがあるのではないでしょうか?
かの坂本龍馬も学んだという幕末の名流にして、現代剣道にも多大な影響を与えた伝説的な剣術として知られています。
その開祖が千葉周作(1793~1856)。
旧来の剣術の姿を大きく変えた、改革者とも称される剣士です。
では、千葉周作の北辰一刀流の新しい点3つを見ていきましょう。
技を「六十八手」にまとめた
幕末当時の剣術における稽古法は、大きく分けて「形(かた)」と「撃剣(げきけん)」の二種類がありました。
形とは、木刀や真剣を用いてあらかじめ定められた手順に従って攻防の技を練習するもので、伝統的な稽古法として行われていました。
一方、撃剣は「竹刀打ち」とも呼ばれ、現代の剣道のように防具を着用して竹刀で自由に打ち合うというものです。
幕末の段階では既に現代剣道のような撃剣が主流の稽古法となっていたと考えられており、北辰一刀流でも大いに行われていました。
千葉周作は撃剣での決まり手を「六十八手」に分類しています。
「面業」「突業」「篭手業」「胴業」「続き業」のジャンルに分類し、それぞれに合理的な動作を実に簡潔に定義付けています。
これらには組み打ちなど体術の技も含まれていますが、なかには現代剣道の技法とほとんど変わらないものも多くあり、この時すでに剣道の原型が出来上がっていたことが分かります。
また、真剣での勝負を想定した技術では困難な素早い連続技も考案されており、「小手・面・胴・突き」の四連撃など華麗な竹刀さばきが記されています。
さらに伝統的な剣術の技名には典雅で文学的な名称が付けられていることが多いのですが、「六十八手」には「追込面」「左右胴」など、シンプルかつ内容がよく分かる名前が付けられていることも大きな特徴です。
上達のステージを「三段階」にまとめた
剣術では、上達するに従ってそのレベルを表す「伝位」というものが存在し、ちょうど現代武道の「段級制度」に近いシステムとなっていました。
ところがこの伝位には流派によっては数多くの段階があり、昇級にたいへんな時間がかかったり、位が上がるたびにお礼やお披露目の費用がかさんだりと、一般庶民にはなかなか普及しづらい仕組みになっていました。
しかし、千葉周作はこれを思い切って「初目録」「中目録免許」「大目録皆伝」のたった三段階に改めたのです。
これは門弟にとっての経済的負担を軽減し、レベルアップの目安も非常に分かりやすいことから大いに支持されました。
北辰一刀流が隆盛を極めたのも、このような合理性が多くの人々に受け入れられたことに一因があったのです。
剣術古来の「秘密主義」を廃した
真剣を用いて命のやりとりをすることが剣術の本来的な目的ですが、その技法の核心や伝承はいわゆる「秘密主義」に包まれるという側面がありました。
もちろん、それについては良い・悪いという問題とは異なりますが、千葉周作は剣術の極意を「夫剣者瞬息心気力一致(それけんはしゅんそくしんきりょくいっち)」というシンプルな言葉で表現しました。
つまり、素早く呼吸を行い、心・気・力を合一させることが肝要であるとしたのです。
これは相撲や柔道でいう「心技体」、剣道でいう「気剣体」の一致に通じる考え方であり、このように合理的で誰にでも分かりやすい教えで、多くの門弟の心を掴みました。