松姫|戦国の世に翻弄された恋心の行く末

松姫は、“甲斐の虎”と評された戦国武将・武田信玄の六女です。

彼女はたった一つの愛のために、生涯未婚を貫きました。

本当なら実ったはずの愛でしたが、戦国の世にそれは引き裂かれてしまいました。

婚約者は織田信長の息子!

1567年。

織田信長から武田信玄の元へ、使者が送られてきます。

「息子の信忠の妻に、松姫を迎えたい」とのことでした。

 

信長は、自分の妹や娘を大名に嫁がせることによって、勢力を拡大させることを政策の一つとして行っていました。

以前にも、信玄の息子・勝頼に、養女の雪姫を嫁がせていました。

ですが、この雪姫が亡くなってしまったため、武田との繋がりをまた結ぶべく、松姫に結婚の申し入れをしたのです。

 

松姫の父・信玄は、信長の申し入れを受けました。

このとき松姫は7歳。

相手の信忠も11歳で、まだまだ幼いカップルでした。

それでも、松姫と信忠は手紙をやり取りしたり、贈り物をしたりと関係は良好だったようです。

しかし、二人の結婚は成立することはありませんでした。

三方ヶ原の戦いが原因で婚約解消

1572年の12月に、三方ヶ原の戦いが起こります。

松姫の父・信玄と、徳川家康による戦いです。

結果は信玄が率いる武田軍の勝利でしたが、信玄にとって許せないことが発覚します。

お互いの子どもの婚約で親交を深めていたはずの信長が、徳川側に援軍を送っていたということです。

これに大激怒した信玄は、織田家との親交を断絶し、それによって松姫と信忠の婚約も解消されることになってしまいました。

この翌年に信玄が亡くなり、松姫は兄・仁科盛信のいる高遠城へと移りました。

松姫、出家する

信玄が亡くなると、松姫の異母兄・勝頼がその跡を継ぎました。

しかし、織田信長による甲州征伐により、武田氏は滅んでしまいます。

この甲州征伐の時、松姫のいる高遠城を攻めたのが、松姫の元婚約者・信忠でした。

信忠率いる5万の大軍勢に、高遠城は攻め落とされてしまいますが、松姫は従者と共になんとか八王子へと逃れました。

それから、わずか3ヶ月。

信長が本能寺で討たれ、信忠も自害します。

 

実は、信忠は八王子にいる松姫に使者を送っていて、滞在していた妙覚寺に招こうとしていました。

しかし、信忠の死により、二人の再会は叶わぬものとなりました。

 

松姫は信忠の死の知らせを聞いて出家し、信松尼となります。

その後、彼女は未婚を貫き、56歳でこの世を去りました。

 

松姫と信忠が、もしも平和な時代に生まれていたら。

二人の未来は違っていたのかもしれません。

そう思うと、とても切ないお話ですね……。

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