<出典;wikipedia>
はじめに
銃火器が発達した近現代では、歩兵戦力による射撃戦が大きなウェイトを占めるようになりました。
しかし、互いの部隊が十分に間合いを詰めた後は歩兵突撃による白兵戦が勝敗の行方を左右しました。
近代軍制で世界的な標準となった近接兵装のひとつに「銃剣」があります。
小銃の銃口の下部に短剣をとりつけ、槍のようにして扱う武器であり、現代でも自衛隊や各国の軍隊で一般的な装備となっています。
武器には当然それを扱うための技術があり、日本では剣なら「剣術」、弓矢なら「弓術」といったようにそれぞれのメソッドが集約された「武術」が編み出されてきました。
近代に登場した銃剣を扱う技は「銃剣術」と呼ばれ、日本で独自のスタイルへと発達していきました。
それはやがて武道の一種である「銃剣道」へと姿を変えていきますが、そんな銃剣の変遷をたどってみましょう。
近代日本の銃剣術
日本における銃剣の歴史は、明治期の洋式陸軍制導入にさかのぼります。
1884年(明治17年)にフランスから教官を招聘。
銃剣をはじめとした白兵戦術をフランス式で身につけ、フェンシングの「サーブル」や「フルーレ」といった技法ももたらされました。
しかし、やがて古来からの伝統に則って日本人の感覚や風土にあった独自の白兵戦術を希求する声が高まり、1890年(明治23年)に陸軍戸山学校は日本式の銃剣術と軍刀術の制定を決定します。
古来の槍術とフランス式のハイブリッド
日本式の銃剣術には古来の「槍術」の用法が採り入れられています。
他国の銃剣術と比較すると「直突」の多用に特徴があり、銃床打撃はあまり用いないといいます。
精妙な払い技などはまさしく古来の槍術の用法を髣髴とさせ、小銃に装着しない状態の短剣を用いた「短剣術」には、古武道の「小太刀術」が参考にされたといいます。
現代では武道・スポーツとしての「銃剣道」に
GHQによる戦後しばらくの武道禁止の時期を乗り越え、銃剣術は武道のひとつとしてその歩みを再開させます。
1956年(昭和31年)に全日本銃剣道連盟が発足しますが、大戦の記憶もまだ新しい時代のことですので、理解者や修行者はまだ多くはなかったといいます。
やがて、武道ならではの精神修養や心身の鍛錬に重きを置いた「銃剣道」は徐々に受け入れられ、やがて自衛隊でも採用されるようになります。
いまや「現代の槍術」とも呼ばれる銃剣道は、「短剣道」と呼び方をあらためた短剣術とともに、礼に始まり礼に終わる武道のひとつとして普及しています。