毎年多くの外国人観光客が日本にやって来て、独特の建築文化やファッションを堪能して帰国していきます。
中でも外国人に人気なのは、他では食べることが出来ない本物の「寿司」です。
寿司は「日本食=SUSHI」と言えるくらいの知名度を持ち、世界中にSUSHIレストランが作られています。
日本を代表する食文化ですが、私たちが想像する「シャリの上にネタが乗ってて、2貫で出て来る」というものは、実は最近出来上がった寿司の形なのです。
今回は、江戸っ子に愛された寿司の歴史を紐解いていきます。
最古の寿司は鳥が作った?
日本最古の寿司は、瀬戸内海のある伝説がルーツになっています。
昔々、淡路島に住んでいる夫婦が巣を作っている鶚(みさご)を見つけました。
愛らしい鶚に心を奪われた夫婦は、巣の中に余ったご飯を入れてあげました。 しかし鶚は、ご飯に興味が無いのか食べようとしません。 だけど海からとってきた魚をご飯の上に置いています。 とって来ては乗せて、とって来ては乗せて…。 「そうか!きっとご飯をくれてありがとうと言っているんだ!」 夫婦は勝手にそう解釈して、鶚がとって来た魚を勝手に持ち帰り食べてしまいました。 これが独特の風味がきいてて非常に美味しい。 きっと米の発酵が魚を美味しくするんだ…という発想から、鶚の真似をして魚を食べるようになりました。 |
この伝説が寿司のルーツとも言われています。
昔はかなりメジャーな話だったようで、幕末や明治時代には「みさご寿司」という店が非常に多かったそうです。
寿司は保存食だった?
寿司には2種類あります。
1つは「早なれ鮓(すし)」。
私たちに馴染み深い握り寿司はこちらに属します。
もう1つは「熟れ鮓」。
滋賀県名物の鮒ずしはこの熟れ鮓の代表格と言えるでしょう。
江戸時代に完成した握り寿司を語る上で、まずはこの熟れ鮓について知っておく必要があります。
熟れ鮓とは、魚の腹を割いて中に米を詰め込んで1年以上熟成させたもので、米は食べずに魚だけを食べます。
米の発酵で魚の旨味を引き出し、濃厚な味わいを作り上げることが出来ます。
しかし、とても臭い。
東南アジアから始まった手法で、後漢時代の中国にも似たようなものはありました。
日本でも古代から熟れ鮓はあったと言われており、保存食として扱われていました。
しかし、もっと手早く食べられる方法は無いものかと考えられ、室町時代に「生熟れ鮓(生馴れ鮓)」というものが作られます。
基本的な作り方は同じですが、熟成期間は1か月ほど。
ほどよく熟成されてますので、魚も米も一緒に食べることが出来ます。
さらに手早く食べたい!ということでその後、箱に酢飯と魚を詰めてギュッと押し固められた「押し寿司」が登場します。
この「熟れ鮓」に共通しているのは、保存を目的にしているということです。
鮮度が命とされている今日の寿司とは違い、元々の寿司は「長期保存して食べる」ということを目的にした発酵食品だったのです。
せっかちな江戸っ子が好んだ寿司は?
江戸時代中期まで、寿司と言ったら生馴れ鮓でした。
江戸っ子は粋でグルメでしたが、それと同時にせっかちでもあります。
1か月も熟成させるなんてじれったい!もっとさっさと食べたい!
そんな江戸っ子向けに開発されたのが、「早馴れ鮓」です。
酢飯の上に魚を乗せて、一夜漬けにしたものです。
別名「一夜鮓」とも呼ばれ、四谷に2軒の店が出されました。
これが江戸で大ウケし、江戸中に寿司屋が作られました。
やがて江戸時代後半に差し掛かり、「もっと早く寿司を客に出せないか」と考えられ華屋与兵衛によって「握り寿司」が考案されます。
これが今日の私たちが食べている寿司です。
あらかじめ作っておいた酢飯の上に、新鮮なネタを乗せて提供する…今までにない早さと鮮度、そして忍術使いのような手さばきが「手品のようだ」と持て囃されて大ヒットします。
江戸時代の寿司のネタは今とあまり変わりません。
海老、鯛、こはだ、アジ、かんぴょう、玉子などが定番でした。
これらは100~200円で手軽に食べることができ、庶民にはお馴染みのファストフードとして浸透していきます。
しかし、寿司が流行してからは高級店も作られるようになりましたので、15cm程の桶に盛られた寿司が約10万円!という超高級寿司も登場します。
一体どんなものなのか、気になりますね。
おわりに
私たちが知っている寿司は、実は江戸時代の後半になって完成したものでした。
意外と最近ですね。
それまでは保存食だったというのも、今では想像もつかないことです。
「もっと早く!もっと早く!」というせっかちさが、このような日本食を生み出しました。
握り寿司はまさに江戸っ子の粋が凝縮された料理です。