<出典:wikipedia>
はじめに
おいしいものを食べたい、という欲求はどの時代にも共通していたようで、古来さまざまな調理法が工夫されて食文化が発展してきました。
そのバリエーションは時の流れとともに増加していき、やがてそれらのレシピをまとめた書籍が登場します。
当初は料理人のマニュアルとして機能していたと考えられるレシピ本。
出版業が発達して一般庶民にも流通するようになると、「読み物」としての楽しさを持ったものが好評を博することになります。
そんななかに「百珍本」と呼ばれるジャンルの、レシピ集が登場しました。
文字通り百通りの調理法を列挙した料理本で、特にひとつの食材を用いてそのバリエーションを紹介するというスタイルが人気でした。
ここでは、そんな百珍本の世界についてふれてみましょう。
百珍本の嚆矢、『豆腐百珍』
百珍本の元祖ともいわれるのが、天明2年(1782年)に出版された『豆腐百珍』です。
タイトルの通り、百種類の豆腐料理を取り上げたレシピ集で、なかには現代にも伝わる豆腐料理も数多く収録されています。
全体の構成としては、日常的なものから特別に手の込んだものまでを「尋常品」「通品」「佳品」「奇品」「妙品」「絶品」の六段階に分類しています。
当時から普段のおかずや酒肴として馴染み深かったものを含めているため、よく知られたものは料理名のみの記載というパターンもあります。
豆腐という誰もが口にできるありふれた食材が、百種類もの料理に変身するという可能性は、新鮮な驚きと好奇心をもって熱烈に支持されたと考えられます。
伝統的に獣肉類を常食するという習慣が稀薄だったとされる日本人にとって、大豆は実に貴重なたんぱく源でした。
大豆100gあたりに含まれるたんぱく質の量は牛肉とほぼ同等とされ、栄養バランスのうえでも重要な食材だったのです。
そんな大豆製品のなかでも豆腐は加工しやすく、味わいもたんぱくなため調理に向いていたことも、「百珍」に選ばれた理由のひとつだったのでしょう。
百珍シリーズが大ブームに
『豆腐百珍』は出版物として非常な好評を博しました。
そのため、『豆腐百珍続編』や『豆腐百珍余禄』など後続のシリーズも出版されました。
この勢いを受けて、「百珍シリーズ」とも呼べる類似本が続々と登場します。
有名なところでは「卵百珍」「甘藷百珍」「鯛百珍」「蒟蒻百珍」などがあり、それぞれ人気となったといいます。
なかには品数を合わせるために開発されたような、あまり実用的ではないレシピもあるといいますが、百珍本は現代のメニューブックのように愛蔵され、江戸人の遊び心が詰まっていました。