鎌倉時代の文化
<出典:wikipedia>
鎌倉時代に入りると、農民上がりの武士たちが支配階級になったため、質素で力強い文化が栄えました。
それを象徴するのが金剛力士像。
ムキムキの身体をした像が門の入り口を守るような形で、設置されました。
また、流鏑馬(やぶさめ)・笠懸(かさがけ)・犬追物(いぬおうもの)など、馬に乗って弓で的を射る武芸が発達しました。
宗教面では浄土宗や日蓮宗などの仏教が広がりました。
文字を読めなかった武士や農民のための仏教で、「南無阿弥陀仏」を唱えるだけなどという簡単なものでした。
ちなみに、衰退した貴族たちは昔を懐かしむような文学を残しています。
代表的なのが新古今和歌集。
後鳥羽上皇の命令で藤原定家が編集しました。
鎌倉時代の食事
鎌倉時代になると、厚手のふたをつけた羽釜が広まり、ごはんの作り方が「蒸す」から「炊く」に変わりました。
平安時代は形式を重視した華やかな食事でしたが、武士中心の鎌倉時代は質素で実用的でした。
基本的な食事は玄米と焼き魚や野菜などのおかず。
仏教による制約もなくなり肉も食べるようになりました。
ちなみに農民上がりの武士たちは新鮮な野菜などを食べていたので、貴族よりも健康で長生きをすることが多かったようです。
鎌倉時代の服装
<出典:風俗博物館>
武士の服は、民衆の服のように動きやすいものでした。
直垂(ひたたれ)という襟がまっすぐに垂れており、上の服は胸の辺りでしっかりと結びました。
袴も足首でしっかりと結び、動きやすくしていました。
頭には折烏帽子(おりえぼし)、腰には太刀をつけていました。
【女性の服装】
女性も、壺装束(つぼしょうぞく)という比較的動きやすい服装をしていました。
頭には市女笠(いちめがさ)をかぶり薄い布をたらして、身分を隠したり虫除けをしたりしていました。
【庶民の服装】
男性は小袖と袴という、武士以上に動きやすい服装で、腰には腰刀と火打ち袋をつけていました。
女性も小袖が中心で、頭は白い布で多い長い髪を頭上でたくし上げていました。