開国を迫られた日本
当時の日本の有識者たちは、アジアが植民地化されている状況を目の当たりにしていたため、鎖国体制を続けていました。
しかし、1853年。
ペリーが黒船にのってやってきます。
このときの日本に、アメリカと戦う力はありません。
そのため、しぶしぶ開国。
危機感を抱いた人々によって明治維新が起き、富国強兵政策がとられます。
富国強兵が上手くいき、日清戦争、日露戦争に勝利。
日本はようやく世界に認められるようになります。
しかし、まだまだ課題がたくさんありました。
強力な人種差別
当時、日本以外で力を持っていた国は、全て白人国家。
有色人種の国はほとんどが植民地となっていました。
そのため、欧米の人々は「白人の方が優れているから、有色人種を支配して当然」と考えていました。
そんな中、唯一肩を並べていた有色人種の国家が、日本だったのです。
当然、日本人を快く思わない人も大勢いました。
1919年。
パリ講和会議で、日本は「人種差別撤廃法案」を主張。
これには多くの国が賛成し、植民地を持っていたフランスやイタリアも賛成しました。
しかし、植民地を大量に持っていたイギリスとアメリカが反対。
賛成多数にもかかわらず、議長だったアメリカ大統領が否決の判定を下しました。
そして日本はアメリカから「危険思想を持っている」として敵視されるようになります。
共産主義思想の拡大
人種差別と同じように、日本にとって大きな課題だったのが共産主義。
1917年にロシア革命が起きたことで、世界初の共産主義国家が誕生します。
この事件で、世界中が警戒心を強めます。
当然、日本も警戒を強化しました。
しかし、日本でも共産主義者が増えはじめ、軍部や官僚にも多数入り込んでしまいます。
共産主義者(コミンテルン)たちは世界中を共産主義にしたいと思っていました。
そこで考えたのが、戦争で弱体化した国を乗っ取ること。
さまざまなところで戦争が起きるように画策し、日本も戦いに巻き込まれていきます。
世界恐慌とブロック経済
人種差別と共産主義。
このような背景のなか起きたのが、世界恐慌でした。
アメリカでの株価暴落をきっかけに、世界中の株価が暴落。
経済が大混乱に陥ります。
これを立て直すために、各国がブロック経済を進めます。
ブロック経済とは、自国とその植民地の中だけで経済をまわし、他の国との輸出入を大きく制限すること。
これにより、自国の経済を安定させようとしたのです。
しかし、第一次世界大戦で植民地を奪われたドイツと、もともと資源のない日本は貿易できなければ何もできません。
このままでは大量の失業者が生まれ、国が崩壊してしまいます。
こうしてドイツではヒトラー政権が生まれました。
ヒトラーは政権を握ると、経済統制を行いドイツの経済を立て直します。
そして、「生活圏」を作るためにヨーロッパへ進撃開始。
破竹の勢いで勝利を重ねます。
これを見た日本はドイツに接近し、日独伊三国同盟を結びました。