大正時代の服装
<出典:風俗物語>
大正時代は着物から洋服に移る移行期でした。
大正7年にはじめて京都の学校で洋服が制服となりました。
大正13年ころには全国的にセーラー服が普及しました。
しかし、全ての学校が洋服になったわけではなく、昭和初期まで着物と袴を身に着けてい学校もありました。
学生ではない男性は職業ごとに服装が違い、小僧は着物に前掛け、工員は菜っ葉服、農家は野良着でした。
大正時代の生活
当時、農村では4~5人の家族でお米を作っていましたが、多くの小作農は生活が苦しく出稼ぎなどもしていました。
このような家を継ぐ場合、長男が優先され、それ以外の次男、三男・・・は都会にでて働くか村で大工や馬車引きなどの仕事をするしかありませんでした。
1918年には高等学校令が出され小学校を卒業してからも勉学を続ける人が増え、高学歴化が進みました。
こうして、徐々にサラリーマンが増えていきました。
サラリーマンが増えると、その人たちに向けた娯楽も増えてきました。
新聞、雑誌、ラジオなどが広まり、中でも音のないサイレント映画が流行しました。
ちなみに、この頃は自由に恋愛したり結婚したりできませんでした。
特に美人の女性は学校を卒業する前に結婚が決まることも多く、そうなると卒業せずに主婦になりました。
主婦になると、当時は姑の力が強かったため、嫁姑問題で苦労したようです。
大正時代の食事
大正時代になると、カレーやコロッケ、トンカツ、オムライスなどが民衆にも広まりました。
大正5年には約3万件の飲食店がオープンしました。
ただ、庶民の間では「麦飯と漬物、魚の干物」という昔ながらの質素な食事もとられていました。
これは金銭的理由のほか、消化器官が肉に適応できておらず洋食で胃もたれなどを起こしたためでした。
ちなみに、上流階級の人たちはデザートとしてフルーツが人気だったようです。